【読書】愚行録/貫井徳郎 他人を語ることで垣間見える本質
他人を語る、それは自己を語ること
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幸せを絵に描いたような家族に、突如として訪れた悲劇。
深夜、家に忍び込んだ何者かによって一家4人が惨殺された。
その事件を、彼らの友人・隣人達が語る。
エピソードによって浮かび上がらせる何か。
理想の家族に見えた彼らは、一体何故、殺されてしまったのだろうか。
殺されなければならなかったのだろうか。
他人を語ることで、その人の本質が見えてくる。
他人を語ることで見えてくるのは、その人の本性である。
果たして、暴かれる真実は何を見せてくれるのだろうか。
この作品は、それぞれの人間の独白によって構成される。
独白するのは、隣人であったり、友人といった関係者達。
彼らは、被害者家族について語る。
彼らがどんな人であったか、みんなからどう思われていたのか、そして自分はどう思っていたのか。
その発言の中から何かが見えてくる。
明らかに何かが見えてくる。
それは果たして何だろうか。
人の振り見て我が振り直せ。
まさにこの言葉を思い出してしまった。
記憶の中で人は生きている
「こうして話を聞いてもらわなきゃ、田向のことを思い出す機会すらなかったんだから」
本作はインタビューに関係者が答える場面で構成されている。
インタビューされることで故人への思いを馳せる。
人は思い出されることでまた生きている。
思い出されることがなくなってしまうほど悲しいことはない。
言葉は雄弁に人を語る
「田向夫妻よりも、それを表現しているインタビュイーたちの印象が強く残るのはなぜだろう」
他人のことを語ることで本性が見える。
その不気味さを目の当たりにさせてくれたのが本作品だ。
そこが魅力であり、そこが恐ろしいところなのだ。
この作品が映画化される。
果たして一体どうなるのだろうか。
語り手たちの恐ろしさ、不気味さが明らかに伝わりそうな配役でもある。
「何かを語るとき、人はどうしても自分というフィルターを通してものを見てしまう」
バイアスをかけずに事実だけを伝える。
そう心がけていたとしても、何かしら見えてしまうものはあるのだ。
それが人間らしさであり、コンピューターとは違うところ。
コンピューターにはできないところ。
果たしてそれに価値を見出すことができるのだろうか。
見出すことはできなければ、全てAI変わってしまう。
そんな未来もあるのかもしれない。