【読書】慟哭/貫井徳郎 最後に仰天することは間違いない。
仰天し、慟哭する物語
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本作は2つの場面からの同時進行という形で物語は進む。
一つは、連続する幼女誘拐事件の捜査をするキャリア組の課長。
もう一つは、新興宗教にのめり込む男。
本作は様々な物を描く。
センセーショナルな事件、警察内部でのキャリア組ノンキャリア組の軋轢、
課長の私生活にまで入り込むマスコミ。
宗教の生態、そして家族のあり方。
最後に仰天することは間違いない。
詳しく説明するとその楽しみを奪ってしまう。
とりあえず読んで欲しい。
信じることを探す人たち
「人は自分が信じたいことだけを信じるのです」
人はなぜ宗教に惹かれるのか。
それは、自分の信じたいことに重ね合わせることができるから。
いかに突飛なものでも、世界中を探せば、自分の信じることと同じものは見つかる。
信じたいからこそ、信じる。
人は何かに縋らなければ生きていけない。
一人で歩いていくことはできない。
組織の中でどうあるべきか
「同じ叱られるのでも、こちらのプライドを重んじてくれた叱り方と、そうでないのとでは雲泥の差がある」
人を動かすことは難しい。
誰しも自分と全く同じ考えを持つ人などいないし、すべてを伝えることは困難だ。
自分の思い通りに動いてくれない場合は、叱ることもあるだろう。
ただ、その叱るという行為に目的を重ねてはならない。
何のために叱るのか、叱られた相手にどうして欲しいのかをしっかり考えたうえで行わなければならない。
叱られる側は、気分がいいものではない。
理不尽だと思うこともあるかもしれない。
だが、理不尽ではない叱り方で、何をして欲しいのかを伝えられれば納得できるだろう。
怒鳴るだけでは駄目だ。
「世間が思うほど、警察は一枚岩ではない」
どこの組織でもそう。
面倒な軋轢や微妙なバランスというものが存在する。
合理的ではないものが、最終的に作用するというのはおかしな話だ。
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