【読書】コミュニティデザインの時代/山崎亮 自分の住む「まち」を良くしたい
自分が住むまちは誰が作っているのだろうか?
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まちをつくる。
行政が道路を作り、行政がバスを走らせ、行政が建物を立てている。
いつの間にか、行政が作るまちに住むことが当たりまえになっている。
お客様気分で行政がやることに文句だけつけていれば良くなっている。
でもまちは自分で作るのが普通なのではないか。
そう思う人達も増えている。
例えば、少し前に話題になったツタヤ図書館のように、
自分たちの街に関して着目する人が増えてきた。
自分たちで自分たちの住むまちを作る。
そのお手伝いをするコミュニティデザイナー。
自分の住む「まち」を良くしたい、そう思う人が増えるといい。
まちのお客さんになってはいけない
「住民はどんどんお客さん化するわけだ」
昔は、近隣住民と協力して、道路を作ったり、米を育てたりしていた。
工業に従事する人が増えたことにより、近隣での協同作業は減ってきた。
自分の空間を大切にするようになり、公共のものはすべて行政任せになる。
その結果が、いまの社会。
確かに、自分たちのまちを作るという意識は非常に薄い。
お客さんになってはいけないのだ、なぜなら当事者だから。
「まちはみなさんが生み出したものなのです。まちのことは私たちに関係ない、役所に任せておけばいいというわけではないのです」
集団生活をする上でルールを作る。
それがまちの第一歩だ。
自分たちでルールを作ったはずなのに、ルールである行政が一人歩きして、住民たちはルールに対する興味を失ってしまった。
もともとのあるべき姿を想像し、立ち返るべきなのだ。
「究極の目標は自分の仕事を消すことである」
例えば医者は、医者の要らない世界を作ること。
弁護士は、争いごとのない社会を作ること。
自分の仕事の目的はなんだろうか?
その仕事をしなくてもよくなることだ。
仕事がなくても上手く回っていく社会は理想的だ。
「地元で生活する人たち自身が発案し、それを組み立て、自分たちができる範囲でプロジェクトを立ち上げる。」
「立ち上げたプロジェクトを磨き上げ、さらにできることを増やしていく」
コミュニティデザイナーは、自分たちが主体となるのではなく、ファシリテーターになる。
地元の人が主役であり、それを影で支える仕事。
集まりを作る、場を作る仕事だ。
何かきっかけがなければ、地域の人は集まらない。
そのための楔こそコミュニティデザイナーなのだ。
「酒を飲まないと本音が引き出せないというのはファシリテーターとしての能力が低いと自ら表明するようなものだ」
確かに、その通り。
通常の関係では、相手から本音を引き出すことが酒の力を借りている。
逆に言えば、自分の力だけで引き出せることこそ素晴らしいのだ。
接待という不合理な慣習がある日本は、本音を引き出すのが苦手な人が多いのだろう。
事なかれ主義こそ不要
「余計なことをせず、失敗せずに仕事を進められればそれなりの評価になるし、それ以上のことをしても特に評価されることがない職場なのである」
行政の問題点をついた言葉。
失敗すると点数を惹かれる減点方式であることこそ問題点。
多くの会社はこのような形態になっているのではないか。
無難にこなしていけば、及第点がもらえる。
だからこそ挑戦することが少なくなり、成長がとまってしまう。
評価の新たなる仕組みづくりは必須なのだと考えさせられる。
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