【読書】神去なあなあ日常/三浦しをん 都会育ちの少年が山奥のど田舎で生活を始める
「神去もええところや」
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田舎の山の中で暮らすことになった少年。
都会から急に田舎に引越し、そこで生活をせざるを得ない。
何もかもが都会とは違う。
便利なものは何もない、ゆったりとした時間の中で、現代人が忘れた何かに出会う。
コンビニはないけれど、そもそもいらないのではなかろうか。
ケータイは通じない、でも使わなくても大丈夫。
少年が田舎の暮らしで学んだことは、都会に生きる人間が知らないこと。
より自然に近いところで、地球に近いところで。
生きるということはかくも美しい。
人は何のために文章を書くのか
「長い文章なんて書いたことがないが、記録すれば俺の心もなあなあだろうし、気持ちの整理になると思うんだ」
本作は、少年が書いた日記という体をとっている。
彼は何故書き始めたのか。
それは自分の心を見つめるため。
頭の中でごちゃごちゃ考えていることを活字に落としたとき、何か新しいことが見えてくるのだ。
言語化というものは難しい、だが、頭の整理をするには持ってこいだ。
ただ、後から見返すとちょっと恥ずかしかったりもする。
生きることと仕事が直結している
「山仕事は仕事じゃなく、生きかたそのものです、って感じだ」
山で遭難しかけた時、彼は何を思うか。
山で死ぬのは当然だ。
そう思ったのだ。
なぜなら、山の神様に守られて今まで生きてきたのだから。
自然に守られた人間が、自然を怖がることはない。
むしろあるがままを受け容れる。
無理に支配しようとしない、その姿勢を見て、我々は何かを感じる。
科学技術で無理やりに支配することが果たしてどこまで必要か。
共存という言葉を思い出さねばならない。
「俺たちは山にお邪魔させてもらっとるんや、ちゅうことを忘れては、神去の神さんに怒られるねいな」
自然に、地球に我々人間は生かしてもらっている。
地球からみたら、人間などいないほうがいいのかもしれない。
生態系を破壊して、地球の環境を壊して、やりたい放題。
いつか、後戻りができなくなる前に、もっと謙虚にならねばいけない。
持続的な世界を求めて。
便利すぎるものは実は不要なものかもしれない
「ないならないで、まあいっかって気持ちになる」
いま身近にある便利なもの。
意外となくなっても平気なのだ。
便利過ぎる世の中で、無意識のまま使っている道具たち。
本当に必要なのか。
それが出来るまでに、どれだけの自然を壊しているのだろうか。
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