【読書】できることをしよう。ぼくらが震災後に考えたこと/糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞 肩肘張らず、背伸びしすぎず
肩肘張らず、背伸びしすぎず
もうすぐ震災から5年が経過する。
大変な中、どういう人達がどういうことをしていたのだろうか。
できることをしよう。: ぼくらが震災後に考えたこと (新潮文庫) 新品価格 |
そんな中、この本に出会った。
まず題名、「できることをしよう。」
肩肘張らず、背伸びしすぎず、でも何かやろう。
そういう現実感のあるワードに惹かれた。
また表紙は、震災後のがれきの中を宅急便のトラックが走る写真。
なんだろう、このカッコよさ。圧倒され、読み始めた。
この本に出てくる人たちは、皆がそれぞれ、自分にできることをしている。
新しいことを背伸びしてやっているのではなく、自分にできることを続けている。
今日からでもできることをしよう、読者にもそういう思いが伝わる。
元気になる一冊。
思い切って行動するためには。行動できるようにするには。
「何もしないで無難な道を選ぶのは間違いだ」
「こうだと思ったら、思い切ってやりなさい」
ヤマトの経営者の言葉。
これはすごい、ここまで言ってくれる人ならばその人のために頑張ろうという気になる。
なかなかこう言ってくれる人には会えない。
現状維持は思考停止と同義である。
「土俵をつくってあげれば、民間の経営者は自発的に入ってきますよ」
土俵をいかに作るか。
民に移管する際は、線引を求められる。
民と官の間に落ちるようなことがないように、かつ民が動きやすいように。
「実現可能性のないものは方法として意味がありませんから」
今までなかった発想を求められるイノベーション。
だが、あまりに突飛で現実感がなくなってはいけない。
柔軟な発想の中で、リアリティのある形を作れることが必要だ。
「長期になります。気持ちを張りつめすぎると、そのことでまいってしまいます」
肩肘張らずに、できること。
頑張りすぎないで、続けられること。
自分のできる範囲できない範囲をはっきりさせることが大事。
いつか訪れる別れ
「人は、終わりをきちんと意識し、そこにしっかりと別れを告げられたなら、その悲しさやつらさを受け入れ、またつぎの一日を暮らしていくことができるのではないか」
終わりというものは必ずやってくる。
それを意識して、後悔なく別れることができたのなら、受け入れることができる。
人との別れというものは、辛い。
突然に起こる災害というものは、別れの時間をも奪ってしまう。
時間は有限。
何のために働くのか?
「義務感や理屈ではなく、たのしいからといえるような動機から、
みんながそれに取り組んだり、つながったりしていくといいのに」
会社で働く際にも、給料をもらっているからという義務感だけでは僕は頑張れない。
せっかく働くのだから仕事はたのしいものであって欲しい。
昔、上司に楽しくない下働きが長すぎると文句をいったら、
いつまでも理想ばかり追い求めるな、現実を見ろと言われたことがある。
その人は10年間、つまらない下働きだったとも。
それに耐えたのはすごいと思うが、たのしくない仕事をやって時間を無駄にしたくない。
だって、もったいないじゃない。
理想を掲げて何が悪い、楽しい仕事をしたくて何が悪い。
理想を持っていない人たち、捨ててしまった人たちが、今のこの閉塞感の塊のような日本を作ってしまったのだから。
「自分がどれだけがんばり抜いたか、なんていう自慢をしてたんじゃ困るんです。それを、何年も続けられるかどうか、という話ですから」
残業をひたすらやっていることが自慢にはならない。
それが続けられるかどうか。
モチベーションを保てるかどうかが鍵なのだ。
自分が、続けられることをしよう。
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