【読書】PK/伊坂幸太郎 大局に無関心であってはならない
大局に無関心であってはならない
本作は3つの物語から構成されている。
中編が3つ、それぞれ繋がっている。
全部まとめて長編というほどではないが、繋がっている。
非常に気になる形で繋がっている。
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どの話も、大きな力というのが背後で動いている。
不気味な力が、登場人物たちに多かれ少なかれ影響している。
第一の作品、PKでは大臣が自分の主義主張を捻じ曲げさせられる。
そして、作家が、自分の作品の原稿に有無を言わさず手を入れられる。
第二の作品、超人では、予知能力を持った青年が現れる。
予知能力というよりは、誰かに未来を教えられているといったほうが正しい。
その誰かにより、動かされているわけだ。
第三の作品、密使では、超能力を持った青年が大きな組織に手を貸すように言われる。
そして、大臣はまた別の組織に、自分が消えることで世界が救われると示唆される。
密使が作品全体をつなぐ鍵のようになっているのだが、綺麗に全部繋がるわけではない。
タイムトラベルやパラレルワールドのような言葉が作品中に出てくるため、よりいっそう謎は深まる。
伊坂幸太郎の小説では、大きな組織が一個人に対して何かしら影響をあたえるものが多い。
そしてその中で登場人物たちが言うセリフが心に残る。
現代社会を生きる我々に、無関心であるな、と警鐘を鳴らしているように聞こえるのだ。
組織という隠れ蓑、集団という安心感
「ひとりひとりはいい人たちだけれど、集団になると頭のない怪物だ」
個々人の考えや気持ちは、個人として付き合うと見えてくる。
しかし、組織のような集団になってしまうと様子は一変。
個を消して、組織人であろうとする人が大多数になる。
個人の意見として相手に伝えるのではなく集団全体の意見として伝えることで、彼ら自身の罪悪感や責任感は消え去り、組織という集団の中に隠れてしまう。
組織の論理は得てしておかしいところがある。
なぜなら、ここの事情には斟酌せず、全体感の話をしているからだ。
組織の中で、疑問を持たないためには、考えることをやめることだ。
だが、考えることをやめたら人間ではないのだ。
組織の中でも個人を出すこと、これは忘れてはいけない。
将来への希望はもっているか
「子供の頃は私はやっぱり楽しみだったよ。二十年後や三十年後が」
今の子供たちは、未来が楽しみなのだろうか。
今の若者は、未来に希望を持っているのだろうか。
経済成長とか、GDPだとか、そういう見てくれの話ではなく、
個々人が希望を持って、楽しく生きることができているのだろうか、この日本で。
「競争社会には二種類あるんだ。一つは、全員が努力して競い合う、健全な競争だ。
でも、多くはそうじゃない。相手を転ばして、楽して勝とうっていう、消極的な競い合いだ」
市場原理には、競争がつきものだ。
すべてが健全な競争であればなんの問題も無い。
その結果として素晴らしい社会ができるだろう。
だが、相手を転ばして勝とうとすることが明らかに増えている。
足の引っ張り合いは、成長ではない、ただのパイの奪い合いだ。
競争社会は何のためにあるのか、今よりも良くなりたいからだろう。
地に足つけて、自分の足で踏み出す
「臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する」
一人が動き出せば、少しずつ周りにも伝染する。
行動を起こすための勇気。
考えることをやめた組織人から脱却する勇気。
誰かを待っているのか、それとも自分から動き出すのか。
「人は、信じたいものを信じる」
信じることは自由だ。
だけれども、何を信じるかは、しっかり自分で判断しなければならない。
つまらないメディアに踊らされないように、自分の価値観と考えを見失わないように。
判断をするには、学ぶことが必要。
知識を得て、自分の頭で考えることが、学問なのだ。
いい会社に入るために、学問を学ぶわけではない。