【読書】CUT 猟奇犯罪捜査班 藤堂比奈子/内藤了 ただのホラーではない
藤堂比奈子シリーズ第二作
新品価格 |
猟奇的な犯罪に対して、立ち向かう比奈子。
そして犯罪者として収監されている心理学者、中島。
猟奇的殺人による遺体に目がない検死医、石神。
彼らが主体となって動く猟奇犯罪捜査班。
もちろん、非公式だが。
周囲から幽霊屋敷と呼ばれている無人の館。
そこで死体が見つかる。
それも複数、そして殺され方がどれも異常。
身元が不明であり、捜索願いも出ていない。
誰が、何のために。
本作も前作と同様に、ただのホラーではない。
猟奇犯罪の裏側には、複雑怪奇な動機が存在する。
今回の犯人もそう。
一見、現実感のないサスペンスの印象を受けがちだが、その実は極めて現代的な人間の塊である。
小説という形をとって、違和感のある現代社会に目を向けさせる一冊。
わからないものに対する恐れ
「遺体の身元がわからない。殺害理由もわからない。彼女たちはなぜあんな惨い殺され方をして、屋敷の随所に置かれなければならなかったのか」
事件を端的に表す象徴的な言葉。
人は、わからないものに対して恐怖を抱く。
わからないからこそ、避ける。
単純に、論理的に、リーズナブルに、理由が付けられる限り、人は安心する。
その枠組の中から離れたもの、切り離されたものに対して恐怖を抱く。
幽霊よりも恐いものは、枠組みから脱却した人間だったりするのだ。
人は人との関わりの中で存在する
「被害者は入居者の一人に過ぎねえや」
人と人との関わり方には、濃淡様々、存在する。
自分との関係が薄いにも関わらず、迷惑をかけられて嫌悪する。
逆に、何か助けることができるのではと、手を差し伸べる。
様々な人が周りにいる中、特に人と人が弱いながらも繋がりやすい現代において、直面しやすい事態。
すべて自分を中心に考えてしまうことで人は困惑する。
他人を尊重し合いながらも、自我を持つことが生きるためのコツだろうか。
人間は柔らかくあるべきか
「完璧な自分になれる人なんて、どこにもいないんじゃないかしら」
犯人のプロファイルは完璧主義者。
一点でも欠点が見つかると嫌悪する。
完璧でなければならない。
そのプレッシャーをかけ続けるからこそ、自分が追い込まれていく。
時には緩やかに、柔らかく、柔軟に。
ダイアモンドは硬いけれど脆いのと同じ。
表象ではなく中身
「人は彫刻された肉体を持たない。それでもなお見かけに固執する人間がいたとして、ただ完璧なパーツには、どれほどの価値があるというのか」
見てくれに拘る人は多い。
それは美醜だけでなく、社会的地位やステータスも含め。
その人自身の魅力ではなく、肩書にばかり目を向ける。
そうやって生きているうちには、自分というものが形成されるわけもない。
なぜなら周囲の意見を基にしてしか生活できない人間であるから。
関連記事
aichikenmin-aichi.hatenablog.com
aichikenmin-aichi.hatenablog.com
aichikenmin-aichi.hatenablog.com