【読書】アルキメデスは手を汚さない/小峰元 手を汚したのは誰だ?手を汚さないのは誰だ?
手を汚したのは誰だ?手を汚さないのは誰だ?
アルキメデスとは誰だ?
不思議なタイトルの本作は江戸川乱歩賞受賞作。
1970年代に刊行された作品。
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一人の男子高校生の周りで事件は起こる。
同級生が死亡、最後の言葉は「アルキメデス」。
次にクラスメートが毒殺未遂で倒れる。
また、姉の不倫相手が行方不明に。
一見バラバラの事件であるが、いずれも彼に関わりがある。
やけに大人びた言動をする高校生たち。
だが、動機の裏側には、高校生らしい正義感と幼さが見え隠れする。
大人たちが作る理不尽な社会、資本主義にまみれた社会に疑問と不満を持つ。
世代の違いから理解し難いことが多々あるが、刑事は高校生の周りを調べ、追い続ける。
東野圭吾も敬愛する本作。
関わり合いや責任から逃げる社会の人々
「自分の断定が決定的な決め手になることを極力避けるのが一般人の常だ」
出来る限り匿名のまま、自分の責任になることはやりたくない。
そういった責任回避の動きを表す言葉だ。
責任は取りたくないが、権利だけは十二分に主張する。
だから会社という組織が好まれるのだろう。
「親自身が自分の腑甲斐なさを痛感しているだけに、せめて息子は無気力であるよりもカッコよくあって欲しいと願うのだろう」
自分の周囲にある我慢ならないものに対して、目を背けるのではなく、なにかしら行動を起こそうとしている姿にカッコよさを覚える刑事。
高校生なので正義感が先に立ち、論理性や説得力には欠けるがカッコいいのは間違いない。
大人たちが作る社会に対する高校生の痛烈な批判
「あなたは法さえ守れば、太陽だって買えると思い上がっている」
高校生が大人に向かって言うセリフ。
この作品は1970年台に書かれたものだが、現代でも通用するセリフ。
むしろ、現代だからこそ、より痛烈な批判になるのではないか。
「君たちに不足しているのは、経緯に基づく生活の悪知恵と世間的な信用だけだ」
高校生にとって不足していること。
逆に言えば大人にならないと手に入らないモノがこの二つ。
それ以外は、劣ってないのだから自信を持てと。
この気概に見習いたいものだ。
年齢の壁など些細なもの、自信がなければ始まらない。
「汚れた世間には、手を汚して立ち向かおうじゃないか」
直接手を下していない、関与していないから手は汚れていない。
そう言い張ることはたくさんある。
だから世間は汚れていると評される。
だが、そこに立ち向かうためには、自分の手も汚す覚悟が必要。
正義感だけで、理想論だけでは不十分なのだと。
驚くのはこれが高校生のセリフだということだ。
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