【読書】天空の蜂/東野圭吾 原発と沈黙する群衆
1998年に書かれた原発を題材にした小説
原発を標的にしたテロが発生
震災を契機に、安全性に注目が集まった原発。
この小説は、人々が目を背けていたところに焦点を当てる。
君たち、ちゃんと考えているか、意識しているか、そう問いかけられている。
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東野圭吾は元エンジニアの作家である。
文章は読みやすく、理系の話が多くて個人的に大好き。
この本はかなり分厚いけれども流れるように、ページを捲る手が止まらない。
「企業の社会的責任というのは、まずその企業に関わる人々の生活を保証することだと思うね」
企業の社会的責任、この言葉はよく社会貢献や社会に対しての意義と捉えられる。
僕もそのように考えていた。その企業が社会に対して何を与えているのか、どんな役割があるのかと。
ただ、もっと根本の社員の生活を支えているということを忘れていた。
会社が何のためにあるのか、そう、社員のためだ。
社員のために稼がなければならないのだ。
「いってみれば国全体が、原発という飛行機に乗っているようなものだ。
搭乗券を買った覚えなんか、誰もないのにさ。
だけどじつは、この飛行機を飛ばさないことだって不可能じゃないんだ。
その意志さえあればな。ところがその意思が見えない。」
「世の中には、ないと困るが、まともに目にするのは嫌だってものがある。」
この小説に出てくるテロリストは国民に考える切っ掛けを与えることを目的としている。
事故の起きない原発なんてない。可能性は低くすることができる、ただしゼロにはできない。
国民が理解し、当事者意識をもって選択を、行動をすること、目を背けないことを求めている。
国民主権をうたっているが、主体性を持たない国民が多いと感じるこの社会が不安。
まずは、選挙に行こう。少しでも政治に関心を持とう。
選挙に行かないのと、白票をいれるのは違う。
「沈黙する群衆に、原子炉のことを忘れさせてはならない。
その存在に気づかぬふりをさせてはならない。」
無関心な沈黙する群衆たちに考えさせるきっかけを。
蜂に刺されてみないと痛みはわからない。きっかけがないと意識しないのだ。
政治に対する当事者意識が薄い今の日本人にとって、考えさせられることが多い、本当に多い小説。
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