【読書】半島を出よ(上巻)/村上龍 北朝鮮に支配された福岡、日本人は何ができるか
危うい、瀬戸際に立っている日本という国家
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2011年春、9人の北朝鮮の武装兵士が福岡ドームを占拠した。
さらにその後500名にもなる特殊部隊が来襲し、福岡市の中心部を制圧した。
彼らは北朝鮮の反乱軍を名乗った。
どう対処したらいいのか、途方に暮れる日本政府。
頼みの綱のアメリカも、そして近隣諸国も手を出そうとはしない。
そんな中、誰が立ち上がれるのだろうか。
限りなく現実感のある、日本の未来を描く小説。
国際的に孤立を深めた結果、日本はどうなるのか。
危機感のない日本人に、平和のありがたさと今の足元の不安定さを思い出させる。
手に汗握る、と言うか冷や汗をかかせる、そんな小説かもしれない。
慣れという恐ろしさ
「何度か集中出港を繰り返すことによって、慣れを与えようとしているのではないか」
反乱軍の襲来の前に北朝鮮は度重なる領海侵犯を行った。
それにより日本政府は、徐々にその状況に慣れてしまった。
逆に言えば、ただそれだけのこと。
それ以上の何かが起こる理由もないと無意識のうちに安心をしていた。
現実世界でもそうかもしれない。
多数派にいるという安心感は、人から思考を奪う
「大切なのは今のこの社会の多数派の人たちから離れて生きることだ」
身分を持たない、住民コードももたない、そんな集まりであるイシハラたち。
彼らは何をモットーにしているか。
それはこの言葉に表れている。
多数派の中にいることで人は安心し、その中で何かを考えるという行為を忘れてしまう。
その危うさが顕在化するのは、何か危機が迫った時だ。
政治という危うさ
「政治家は常に少数を犠牲にして多数を活かすという宿命を背負っている」
この言葉、おっしゃる通りと膝を打ちたくなる。
政治によって皆が丸く収まる、そんなはずはないのだ。
どこに目をつぶるか、誰に犠牲を強いるのか。
結局世界はゼロサムゲームであり、その中で生きていくしかないのだ。
支配を受け入れ抵抗をやめる、それが諦め
「諦めというのは巨大な力に従うことを受け入れることで、巨大な力への抵抗を放棄することだ」
平和に慣れている我々日本人。
平和に親しんでいるからこそ暴力に慣れていない。
そんなところに暴力を持ち込んだ反乱軍。
もはや日本人は目をつむることしかできない。
占拠された福岡という都市が、日本ではないかのように振る舞うしかない。