【読書】誰か/宮部みゆき 入り組んだ社会を一人の人間の視点から切り取る
宮部みゆきの杉村シリーズ第一段
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主人公の杉村は大企業の会長の娘婿。
まさにマスオさん状態。
彼は義父の会社で社内報を作る仕事をしている。
そして、たまに義父の頼みで動いたりもする。
今回は義父の運転手がひき逃げによる事故で他界した。
その娘たちの頼みを聞いて欲しいという依頼を受け、奔走する。
ひき逃げ事件の犯人を探す探偵ものかとおもいきや、本質はそこではない。
娘たちが抱える思いや彼女らの関係など、さまざまな糸が張り巡らされている。
探偵ものかとおもいきや、壮絶な人間ドラマに大転換。
人間の本質をも見据えた登場人物の発言が心に突き刺さる。
便利だからこそ、何でもできるからこそ
「自転車で道を走っていて人を殺してしまうことが容易に起こり得る社会では、善良で平凡であり続けることも、実はたいへんな偉業であるのかもしれない」
様々な便利なもので溢れた世の中において、人がやれることは非常に多くなった。
車があれば、どこにでもいける。
インターネットがあれば、直ぐに調べ物ができる。
だが、使い方次第で人を傷つけることにもなる。
そんな世の中だからこそ、道具を扱う人間にかせられた責任は大きい。
責任を理解していない場合も多い。
便利だからこそ、何でもできるからこそ、考える事が大事になる。
消費者という枠
「ご近所に頼みにくいっていう気持ちはわかるわ。
万にひとつ、何かあったら、預けた方も預かった方も不幸だもの」
近頃ベビーシッターや保育園という言葉を沢山聞くようになった。
近所の人に預けるのではなく、お金を払って預かってもらう。
その方が責任の所在を明確にできるからだろうか。
消費者という枠に入ったほうが、安心できるからだろうか。
人は他者を求める
「彼女もわかっていたのだ。言われるまでもなく、心では知っていた。
それでも、誰かの口からそう言ってほしかったのだ」
人は他者を求める。
それは自分以外の誰かに、指摘して欲しい、知ってほしい、理解して欲しいから。
誰かの口からそれが発せられることを聞いて、ようやく自分の存在を認められるような気持ちになる。
そのために意思疎通をする言葉が生まれた。
人は社会的な生物である。
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