【読書】理由/宮部みゆき 隣人はどんな人?希薄な繋がりが事件の原因
希薄な繋がりに起因する事件は読者に現実を突きつける
都心のタワーマンションで、4人が殺された。
だが、その4人、誰?
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都会は人の出入りが激しい。
隣にどんな人が住んでいるのか、知らないという人も多い。
僕もそう。
本作の事件も、近隣づきあいが希薄なタワーマンションで起こった。
隣人がいつの間にか、変わっていた。
管理人も知らない。
新しく家族連れが住んでいると思っていたら、実は家族ではない。
彼らは誰だ?
誰かわからないという匿名性は現代を象徴するインターネット上の繋がりと似ている。
誰かわからないから、その人がいなくなってもわからない。
「帰る場所も行くところもないってことと、自由ってことは、全然別だと思うけどね」
希薄な繋がりから生まれる衝撃的な事件。
彼らはなぜ、家族のような生活をしていたのか。
そもそも家族とはなんだろうか。
人は繋がりを求める。
遠くの家族、近くの家族、遠くの他人、近くの他人。
希薄な繋がりと無関心が根底にある現代社会
「死んでいるのはどこの誰かということについてあやふやなまま、混乱の渦中に身を置いて」
被害者がわからないミステリー。
怪しい人間は目撃されているものの、動機や犯人像の特定すらできない。
まずは、被害者が誰なのか。
匿名の被害者、こんなことがあり得るのか。
だが一方、自分の周りを見渡すと、意外と・・・。
「居住者同士にコミュニティとしての一体感・連帯感が生まれにくく、隣家で事件が起こっていても気づかない」
恐ろしい話だと思う一方、当たり前でもある。
なぜなら近所付き合いをしていないから。
希薄な関係はなぜ起きているのか。
世の中が便利になりすぎて、隣人に頼ることが少なくなったからではないだろうか。
どこでも電話一本あれば会話できるし、足りないものがあったら近くのコンビニに行けばいい。
面倒な付き合いをするよりも、匿名の消費者になることを望んでいるからだろう。
「現実や事実とは一体なんだろうかという問題だ」
マスメディアやインターネットなどの媒体が発達した結果、多大な情報のシャワーを浴びる現代人。
遠くのニュース、テレビを通じて見る景色はどこか、現実感がない。
もちろん、テレビカメラの先には現実が存在しているのにも関わらず。
リアリティとバーチャルリアリティの狭間はどこにあるのか。
繋がりは無くていいのか?求めるものはなんだろうか
「ただの器だと思っていた建物が、なかに住んだりそこで仕事したりしている人間の心の内側にまで影響を与えてしまう」
近代タワーマンションでは、出入りの億劫さから近所付き合いが減るといったように、建物自体が人間に影響を及ぼす。
マンションのように一見隣と距離が近そうな部屋でも、心の距離は遠くはなれている。
人が建物を作るけれども、逆に建物も人を作る。
今回の事件も、タワーマンションでなければ起こらなかったかもしれない。
「身よりのない老人が安心して暮らせる共同体のようなもの」
本作に登場する老人ホームについての評した言葉。
共同体、コミュニティというものが、自発的に作られなくなった今、老人だけでなく、若者たちにもこういう場が必要なのではないだろうか。
例えば、カフェ。例えば、図書館。
家で勉強するのではなく、カフェでという人が増えているのは、何となく人恋しさによるものではないだろうか。
複雑な問題の単純化という逃げ道
「マスコミという機能を通してしまうと、本当のことは何ひとつ伝わらない」
「伝わるのは本当らしく見えることばかりである」
伝え手や受け手は、情報を自分でも理解できるような形に組み換えることがある。
理解できないという恐ろしさから目を背けるためにも、無理やり理解するのだ。
わからないという恐怖に直面したくないから、わかりやすい理由をつける。
わからないから、単純な問題に置き換えて議論をしようとする。
でも、本当にわからないままでいいのか。
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