【読書】クリーピー/前川裕 あの人、お父さんじゃありません
あなたは隣人をどの程度知っていますか
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主人公の高倉は大学で犯罪心理学を教える教授。
刑事の野上からある事件について意見を求められる。
だが、それを端として、彼の周りで事件が起こり始める。
野上が失踪、学生同士のトラブル、そして向かいの家が出火し焼死体が見つかる。
それぞれが別の事件のように思えるのだが、うっすらと繋がりが見えてくる。
そして奇妙な隣人に疑いの目が向いてくる。
隣人の名は西野。
一家で住んでいるのだが、そこの娘がいう。
「あの人、お父さんじゃありません」
彼は何者か、そして主人公の周りで起こる事件との関係は。
昔は隣人という言葉は親しみを込めて使われていた。
だが、今は少し違った意味になるのかもしれない。
見知らぬ隣人という意味合いに。
理解できないことにも理由がある
「傍目からは、どんなに矛盾しているように見える行為でも、心理的にはある種の整合性を示していることもあり得るのだ」
他人の心の動きを性格に予想することは難しい。
一見不合理なことに見えても、一応整合性は取れる。
もちろん、その人の心の中だけで。
興奮状態であったとしても、何かしら意味があって人は行動を起こす。
それを他人が理解できるかはまた別問題なのだ。
本質はみえているか、見ているか
「学業成績や能力と人間の善良さは必ずしも比例しない」
この観点をしばしば欠いている人に出会う。
学歴コンプレックスとでも言うのだろうか。
他人は学歴などで測ることはできない。
それは人間の一側面でしかないからだ。
人は何事も簡単化して片付けることが得意だ。
だが、本質から目をそらすことはもったいない。
記憶は時間が薄れさせる
「記憶の砂時計は逆に流れることはない。それは常に上から下に流れ、無意味な記憶の澱を堆積させる」
人間の記憶は徐々に薄れてくる。
それは上に新たな記憶が積み重なってくるから。
忘れたい記憶も他の記憶を積み重ねることで隠すことができる。
だが、時として顔を出すこともある。
人間の愚かしさに触れることで。
知らないことを恐怖と重ねあわせる
「人々は隣に住む人間の素性に懐疑の目を向け、その行動を常時監視することを、異常なことだとは思わなくなっていた」
隣人はあくまで隣に住んでいる人である。
都会では、近所付き合いは希薄になるといわれる。
隣の部屋の人の顔を知らないといったように。
本作を読むとそれらがより不気味さを携えて感じられるかもしれない。
もっとも自分自身が隣人からそういった目で見られているのかもしれないが。
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