【読書】渋滞学/西成活裕 渋滞にイライラする前に、原理を学ぼう
渋滞にイライラする前に、原理を学ぼう
高速道路の渋滞、ひしめき合っておこる人の渋滞。
なぜ渋滞は起こるのか。
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もっと言えば、数学的要素も強いし、心理学的要素も大いにある。
そんな渋滞を学問として捉えたのが渋滞学。
分野横断的な発想で挑む学問であり、非常にわかりやすく、イメージしやすく書かれている本書。
何年か前に話題になって読んだのだが、ふと目に留まったので再読してみた。
「空気の流れも超音速になると、人の流れと同じように細いところを通過するときには遅くなる」
人の流れは圧縮性の超音速流体と似ている点がある。
まだまだこっち方面からの研究は進んでいないようだが、何となくイメージはできる。
超音速の流体の場合、圧力の情報よりも早く移動しているため、
流れの先に何があるのかを事前に予知することができない。
物体が現れると急激に流れの方向が変えられるため、衝撃波が生まれる。
人の流れの場合でも、人の背中により視界が狭められ、より前方の情報が得にくくなる。
このような同一性があるのではなかろうか。
「高速道路の渋滞原因のうち、サグ部が原因の自然渋滞は全体の3割以上を占める」
「高速道路では、車間距離がおよそ40m以下になったときが渋滞の始まり」
サグ部とは、気づかない程度に緩やかな坂道のことであり、
知らず知らずのうちにスピードが落ちる。
後続との車間距離が狭まるため、後続もスピードを落とす、というのが繰り返され、渋滞に遷移する。
統計的にデータを取ることで、40mという数値が出てくるのは、非常に面白い。
「混んできた場合は走行車線を走ったほうがよい」
統計データによると車間距離が短くなってくると、自分の速度を維持するために、
追い越し車線を走る人が増える模様。
3レーンの場合は、一番左が狙い目らしい。
自分が車を運転している際も、速度は落としたくないので、右側にいくようになっているかもしれない。
これからは、左を走ろう。
「人はパニック状態では知性の低下により他人の動きに追従する傾向を示す」
これは渋滞や避難時以外でもそうかもしれない。
何となく、メディアが煽ったりしていると、よく吟味せず追従する。
何となく楽しそうだから混ざってみる、並んでるから列の後ろについてみる。
そういった思考停止による他者への追従。
いつの間にか、取り返しのつかない場所に行く前に。
「(アリは)交通量に応じて自動的に道幅が変わるようなシステムを採用しており、とうてい我々の現在の技術では真似ができない技だ」
人間は道路という強固なシステムを作ってしまったがために、アリのような柔軟性はなくなってしまった。
むしろ、強固なシステムを作らなければならないほど意思統一が難しい、
他者との意思疎通の難易度が高いということだろうか。
「時間の感覚はこのようにヨーロッパと日本でかなり違う。
ドイツ人は正確だ、というイメージは、ヨーロッパの中では、という但し書きが必要なのだ」
時間に几帳面というのは、真面目である一方、時間に追われているというマイナスイメージもある。
特に、東京は皆、歩くスピードが速い。
早歩きのビジネスマンをよく見かけるが、それを見ながら、
もっとのんびり生きようと思えるだけの余裕を持っていたい。
「ダンゴ運転が発生しそうになったときに、電車間の距離を確保する」
ダンゴ運転とは、電車が大名行列のように連なること。
一番先頭の電車に皆が乗り込むため、後続の電車は停車時間が少ない。
つまり、徐々に行列ができてしまう。
よく耳にする時間調整のために当駅で一分停車しますというのはこの状態を避けるため。
これに文句を言うような、自分さえ良ければと思う人間がいることで、全体の運搬に負の影響がでる典型だ。
視野が狭すぎるのだ。
「公式とは絶対のものではなく、様々な仮定のもとで導かれたものであることを忘れてはならない」
公式の成り立ちを知ることが大学の勉強では多かった。
はじめのうちは、もっと実用的なことをやりたいと思っていたが、本質はそっちであった。
どの原理にはどういう仮定があるのか、わかっていなければ何もできない。
高校の勉強はすべて覚えればできるレベルだが、大学はそこが違う。
公式をつかむのではなく、概念をつかむことの大切さを大学で学んだ。ような気がする。
「異分野の知識が有機的に結びつくのは、結局一人の人間の頭の中にそれらが入り込んで混ざったときのみである」
専門家は大事だけれども、それ以外を知らない人間は視野が狭い。
文系理系の枠にとらわれる人も同様。
すべての分野に興味を持ち、手を伸ばすことができる、少なくとも拒否反応を起こさない程度の人になろう。