【読書】わたしを離さないで/カズオ・イシグロ 提供者と介護人、そして施設は何のために?
世の中に倫理を問いかける一冊
前々から気にはなっていたのと、ドラマ化の影響で平積みになっていたため読んでみた。
価格:864円 |
外国人名がなかなか覚えられない僕にとって、気にはなっていたが敬遠していた一冊。
主人公の独白のような形で話が進む。
施設で育つ主人公を含めた子どもたち、だが普通の施設とどこか違う雰囲気が見え隠れする。
子どもたちが書いた詩や絵がどこかに持っていかれる、未来について明るい話がない。
「提供者」とは何なのか、読み進めるにつれ謎は深まるばかり。
【以下ネタバレ含みます】
主人公キャシーは「提供者」の支援を行う「介護人」をしている。
物語の後半に明らかにされる「提供者」と施設の意味。
子どもたちは臓器提供を行うためだけに造られたクローンだった。
書いた詩や絵は、施設職員がクローンの子どもたちに人権を与える活動に使われていた。
なぜなら、世界は見たくないものを見ないようにしているから。
クローン人間を人間と認めて、人権を認めてしまったら、臓器を提供させることに罪悪感がでるから。
だからこそ人間扱いしないように、隔離して施設で育てていた。
「わたしたちはそんなこととは無関係に、自分の人生を精一杯生きればよい」
自分たちが何者であるかを知らない、そんなときに子どもたちの一人がいった言葉。
自分にかせられた制限に負けずに立ち向かっていく姿、強い。
人間はなかなか前向きになれない。
自分で自分に制限をかけて、レールの外側に出るのを恐れてしまう。
踏み出す一歩の後押しをくれる、そんな言葉だ。
「突然、世界の手触りが優しくなりました」
気持ちの持ちようによって変わるのだ。
手触りという表現に心震えた。
「わたしは多くの人に囲まれて育ち、にぎやかな環境しか知りませんでした。
それが介護人になると、突然、すべてが一人になりました」
介護人の部分を社会人に変えても成り立つのではないか。
学生時代は仕事という繋がり以外のものが多くあるが、
社会人になると仕事以外のつながりってなかなか創れない。
忙しい毎日の中で、ふと、孤独感に襲われるような、
介護人と同じような考えに陥ることはないだろうか。
改めて気づく人とのつながりの有り難さ、尊さ。
「クローン人間は、すべて医学のための存在でした」
人が作り出し、そして手に余ったもの、扱いきれなくなったもの。
科学技術の周りにはたくさん存在する。
科学者に求められる適切な倫理観。
哲学をもち、技術を駆使し、それを踏まえて適切な法律をつくる。
新たな技術に対する責任は、生み出すものが持つべきだ。
単純な好奇心だけでなく、その後の影響までを見据えた科学者、
分野横断的な能力が必要とされる一方で、今の社会は文系理系の垣根が大きい。
最初から最後まで面倒を見れるジェネラリストが必要とされる、
庭先をはいて満足しているような人間が多いのは古い会社であろうか。