aichikenminの書斎

20代サラリーマンが、読んだ本と、心に残った言葉、その時考えたことを徒然なるままに書き留めたもの(金融、理系、工学、航空機、読書)

王とサーカス/米澤穂信

今年もミステリーは米澤穂信でした
このミステリーがすごい! 第1位
週刊文春ミステリーベスト10 第1位
ミステリが読みたい 第1位

 

王とサーカス [ 米澤穂信 ]

価格:1,836円
(2015/12/24 11:41時点)

ネパールを舞台に記者が駆け巡る

大きな事件と、目の前に現れた死体。
ジャーナリストとして、人間として、何をすべきなのか。
何のために書くのかという問いを突きつけられ、葛藤する。

 

「道は一つではない」

主人公の記者が、嫌な噂を立てられ、職場に居づらくなったときの言葉。
現在いる場所が全てではない。そこから変化を求めることは不安をも引き連れてくる。
しかし、自分がやりたいと思っていることは、他の場所でもやれるのだ。
外部からの影響で急に考えさせられることは、非常に理不尽だと感じてしまうこともある。
ただ、いつかは考えなければならない、タイミングが早かっただけ。
決められなければずっと決められない。だけども前を向くためには。

 

「子どもと歩けば子供の街、坊主と歩けば坊主の街さ」

自分の目に入るものは、知らず知らずのうちにフィルターがかかっている。
いつの間にか意識の外に置いて行かれているものも多い。
その場所で気づかないこともあるけれども、先入観があることを覚えておくだけでも意味があるのだ。

 

「この国をサーカスにするつもりはないのだ」
「わたしの仕事には、他人の悲劇を見せ物にしているという側面がある」

題名の意味がようやく明らかに。
自分に降りかかることのない惨劇は、娯楽と認識される。
サーカスを見ることは、ある意味、悲劇を望んでいる。
演者が落ちることを期待しているのだ。
人々がニュースでみたいものは、何か。
自分に降りかからない悲劇。
それを供給するのはジャーナリスト。
当事者でなければ悲劇を消費するだけ、飽きる前に次の悲劇を求められる。
自分がどう書くかだけでなく、どう捉えられる可能性があるか。
そこまで考えてジャーナリストは記事を書かねばならない。
テレビや雑誌の中という、ある意味フィクションに近いところで読者は捉えてしまうのだ。

 

「山があることに気づけば、後はたいてい上手くいくものです」

終わりのないものは一番辛い。
ただ、先が見えて、どこに一番の山が有るのかが見えてくると、
やる気というものは現れる。
何が大変か、どれだけかかるのかわからない、そんな不確かなときが一番辛いのだ。
終わりを探す、山を探す。

 

「こちらに考え違いがあった時、無償で叱ってくれるのは家族か学校の教師ぐらいのものだ」

叱ってもらう、間違いを正してもらうことの大切さは身にしみる。
自分の周りでも、注意されることがないために、周囲はおかしいと思っていることを気づかない人がいる。
可哀想だけれども、仕方がない。
逆に自分はそこから反面教師にしなければならない。
気づいているか、自分の心をごまかしていることはないか。
叱られるときに、はっとするのか、それとも自分の信念があるがゆえの行動か。
自分の行動に責任をもつ、そんな大人でありたい。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 本ブログ