aichikenminの書斎

20代サラリーマンが、読んだ本と、心に残った言葉、その時考えたことを徒然なるままに書き留めたもの(金融、理系、工学、航空機、読書)

【読書】クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識/西尾維新 手段が目的なのか、目的が手段なのか

手段が目的なのか、目的が手段なのか

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識 (講談社文庫)

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西尾維新戯言シリーズ第2弾の本作。一作目はこちら↓。

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主人公のぼくと、殺人鬼が初めて出会う。

同族嫌悪、似てるがゆえのつかず離れず。

 

本作は主人公と大学の友だち(知り合い)が巻き込まれた事件。

コミュニケーション能力が著しく欠けているぼくに近づく葵井巫女子。

ハイテンションかつ、ハイセンスなギャグが嫌いじゃないです。むしろ好きです。

 

目的と手段が同じになってしまった人が出てくる。

手段が目的なのか、目的が手段なのか。

それは悪いことなのか、むしろ赦しであろうか。

 

「「退屈は嫌いじゃないからね。」
「ふぅん。あたし、嫌いな時間が退屈なんだと思ってたけど。」」

こういうやり取り、素敵ですね。

僕の場合、どっちだろう。

退屈という時間は嫌いだけれども、何もしない時間が即退屈かといえばそうではない。

何を持って退屈とするか、手持ち無沙汰を退屈としたら範囲が広すぎる。

能動的な手持ち無沙汰と受動的な手持ち無沙汰。

嫌いなのは、受動的な手持ち無沙汰であり、退屈と称する。

 

 

「勉強が嫌いならなんで大学なんか入ったの?」

これ、これ!

すごい同意する。

全く同じことを大学生だった頃に思っていたことがある。

大学入って、バイトばっかりして、勉強してないやつ、何してんのと。

いや、大学生というものを隠れ蓑にしてバイトしたいってことなのかもしれないが。

周りが大学行くからおれも大学いくーというような人は多い。本当に多い。

多くの会社が大卒を採用することが一因かもしれないが、

大学って本来は学ぶところ

決して安くはないお金を払って、学ばせてもらっているところ。

そして、非常に素晴らしい知識や教養を肌で感じることができるところ。

高尚なところなんだよ、ホントに。

 

「誰かを選ぶってことは、その他の誰かを選ばないってことだ」

選ぶという行為の裏に隠された選ばないという行為。

ほとんど気にしたことがない行為だと思う。

人は知らず知らずのうちに他人を傷つけてしまっている。

そういうことに気がつける人間でありたい。

 

「朱に交わって赤くなるのは染まった方の弱さでしかない」

いつの間にか、染まってしまうこと。

他人に指摘されて始めて認識する、染まってしまったという事実

自分を強くもって、律することが強くあることの根本。

会社という大きなもの、社会という巨大なものに、染められぬように

心折られぬように

柳のようにゆらゆらと受け流していきたい。

 

「何が贅沢かと言って選ぶという行為ほどの贅沢はないような気がしていますね」

現代社会には、子供が成長して大人になり、社会人になるというレールが存在している。

レールに乗っていれば、大抵の場合安心できるが、選択するという行為は少ない。

自分で選択しているように感じていても、そんなに進む方向は変わっていなかったり。

選択することが出来る状態というのは、何かにしがみついたりしていない状態なんだろう。

生き方の軸を持っているということだ。