【読書】彼女は一人で歩くのか?/森博嗣 人間の勘を数式化したものが、僕の研究成果
舞台は現代から200年後の世界
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人工細胞で作られたウォーカロンという生命体。
人間との違いはほとんどない。
そんなウォーカロンと人間との共存が成立している世界。
表面的には成立しているように見える世界。
舞台は現代から200年後の世界。
そこで研究者ハギリは命を狙われる。
どうやら彼の研究成果が狙いなのではないかと言われる。
彼の研究は、人間とウォーカロンを識別する手法である。
人間性とは何だろうか。
人間とウォーカロンの境目は何か。
そもそも境目とは何だろうか。
科学技術の力で長生きした人間は、徐々にサイボーグと呼ばれる生命体に近づく。
それとウォーカロンは何が違うのだろうか。
違いを感じる必要などあるのだろうか。
「人間の勘を数式化したものが、僕の研究成果の一つなのだから」
知性の塊である著者が描く、近い未来の物語。
研究者は天才、天才は変態というイメージ
「研究室の棺桶の中で目が覚めた」
研究者たるハギリの少し変わった感覚が一文で表されている。
変わっているけれどもカッコいい、そんな人間を描くのが著者の魅力の1つでもある。
人は人を信じるからこそ機械を恐れる
「人間を信じるのは、人間の代表的な弱点の一つです」
人間はすべてをドライに考えることができない。
だからこそ、同じ人間を信じてしまう。
ウェットな感覚が染み付いている。
それを弱点といい切ってしまうところにハギリの強さが見られる。
この弱点があるからこそ、ウォーカロンに対しても拒否反応が生まれるのだ。
いつのまにか人間はロボットに近づく
「生きた人間の方が子供を作れなくなっていることが明らかにされた」
人間が人工細胞という技術に頼ることで、その後の彼らはどうなったか。
人が人から離れていったのだ。
ウォーカロンに近づいていった。
だが、人とウォーカロン、本質的に何が違うのか。
人間と人工知能、何が違うのだろうか。
両者の違いは何か
「天然のものであっても、人工のものであっても、生まれてきたことに差はない」
物語の本質はこの一文にあるのではないだろうか。
生まれ、そこに存在するということはすべからく平等である。
だからこそ、そのものの成り立ちには関係がない。
過程ではなく、現状を受け入れることが必要なのだ。
本作にはS&Mシリーズのマガタ博士とミチルらしき人物が登場する。
彼女らが出てくるだけでファンである僕は歓喜する。
いやはや、なんともカッコいいのだ。
そして彼らの思想は、人工知能が流行りつつある現代において、しっかりと理解しなければならないと思う。
機械に仕事を奪われるのではなく、共存していくためにも。
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