【読書】九十九十九/舞城王太郎 始めは混乱する、だがそれが癖になる
作中作。いや、作中作中作中作・・・
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もはや何を言っているのかわからなくなってきた。
本作は清涼院流水のJDCトリビュート作品である。
名探偵九十九十九が主役の作品だ。
だが、本作を読み進めると、自分がどの視点にいるのか、わからなくなる。
九十九十九と同じ視点で見ていたはずなのに、置いてきぼりにされる。
始めは混乱する、だがそれが癖になる。
そんな作品だと思う。
目次を見ると1から7話まであり、短編集なのかと勘違いする。
ある意味短編集かもしれないが、それぞれ別の世界、そしてつながった世界。
活字だからこそできるテクニック。
こういう本に、読書の深みを魅せられる。
見立てと憧れ
「見立てだけがその小ささを隠蔽してくれるんですよ」
推理小説などでよく見る、何かになぞらえたような殺人事件。
それを見立てという。
聖書に見立てたり、童話に見立てたり。
そうすることで単なる一つの死を大きく見せることができる。
人も知らず知らずのうちに見立てをして、大きく見せようとしていることは多い。
振る舞いや、態度にもそれが現れる。
立派な人に憧れ、見立てをする。
自分を見失わないようにしないと。
謙虚たれ
「知識には必ず限界がある」
すべてを知っている人間はいない。
仮にいたとすればそれは神である。
人は神ではない。
だからこそ、謙虚たるべきなのだ。
知らないことがあるという現実を認めることで一歩、人は成長する。
自己認識と世界の狭間
「僕がここにこうして実在するようには、小説の中の僕は存在しない」
小説の登場人物は言う。
この出来事が、小説の中の話ではないとどうやったら証明できるのだろうか。
例えば、今の自分が見ている世界が、現実だとどうやったら証明できるのだろうか。
他人が見ている景色と、自分が見ている世界が同一だと、どうやったらわかるのだろうか。
哲学的な話かもしれないが、メタ視点とはそういうことなのかもしれない。
「知らないものが何かすら僕は知らない」
知らないものがなにか知っていたら、それは知っていることと同義。
世界には自分が知らないものがたくさんある。
興味を持ち続け、知識を貪欲に集めることは非常に楽しい。
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