【読書】タウになるまで待って/森博嗣 真実とは存在するのか?
見え方、立ち位置、それらにより真実は形を変える
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森に立つ洋館、名前は伽羅離館。
この屋敷に探偵、赤柳と山吹、加部谷らが訪れる。
その建物は超能力者、神居の別荘である。
突然鳴り響く雷鳴、豪華な晩餐の後、密室で館の主が殺された。
死ぬ直前に聞いていたラジオドラマ、その名前はΤになるまで待って。
あかないドア、通じない電話。
完全なる密室の中で殺された主。
密室の謎解きもさることながら、本作には真賀田四季も絡んでくる。
もちろん西之園と犀川も一緒だ。
探偵の赤柳もどうやら真賀田四季を追っている模様。
あの天才はどこで現れるのか、今何をしているのか。
物語への登場が待たれる。
物語の中には相変わらずトリッキーな哲学が入っている。
何作読んでもドキドキさせられるものだ。
物事は見方により姿を変える
「ちょっとした 仕掛けのマジックを見せて超能力だと信じ込ませる。そうやって信者を集めるのだ」
加部谷は考える。
超能力者は見る角度によって胡散臭くなる。
信じれば本物だと思えるし、疑えば偽物だと思う。
物事は二律背反。
自分がどちらの側に立っているか、その時間によって最終的な結論も変わってしまう。
願わくば自分の立ち位置と、そこに含まれている主観を見極める能力を持つこと。
社会性と言う名の拘束
「一人でいる時には能力を確認することはできません」
子供の時は数々の能力を誰もが持っている。
自覚することはできるが、他人から見ればそれは単なる一人遊びである。
大人になるにつれて自分を徐々に修正し、そして皆と共通する感覚を持つことを強制される。
それが大人になるということ。
思考を拡張するためには、知識が必要だ
「思考というのは既に知っていることによって限定され、不自由になる」
自分の考えは知らず知らずのうちに、自分の知っている範疇に引きずり込もうとする。
自分が知っていることに寄せてくるのだ。
だからこそ自分の知っていることを増やさなければならない。
そうすることによって思考の拡張性を高めるのだ。