aichikenminの書斎

20代サラリーマンが、読んだ本と、心に残った言葉、その時考えたことを徒然なるままに書き留めたもの(金融、理系、工学、航空機、読書)

【読書】社会人大学 人見知り学部 卒業見込/若林正恭 社会に上手く適合できず、こじらせている人間の葛藤

社会に上手く適合できず、こじらせている人間の葛藤

何度も読み返す本になる。

オードリー若林のエッセイ。

題名を見て途端に、魅力を感じた。

なぜなら、僕も人見知りだからだ。

完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)

新品価格
¥691から

 

社会に上手く適合できず、こじらせている人間の葛藤がにじみ出ている。

共感できる部分が多分にある。

読んでいて何度、そう!そうなんだよ!と声に出したことか。

 

よくわからない社会のルール、社会という不可思議なものに出会い、

多くの人間が感じると思う疑問に対し、

論理的な、それでいて面白い考えが展開されている。

 

自分に対する言い訳やネガティブな思いを受け入れ、

勇気をくれるようなそんな一冊

これから何度も読み返す予感がある。

芸人さんの本という先入観なしで読んで欲しい、人におすすめしたい一冊なので。

 

これからオードリーの、いや、若林さんの出演する番組を楽しみに見るようになりそうだ。

 

  

「社会の象徴のように巨大な鳥が出てくる。
そんな鳥に目の前に立たれて自分の気持ちを押し込めなければ飲み込まれてしまう」

社会は、自分と比べて圧倒的に巨大なものだ。

自分と社会の間に違いが生じたら、折れるのは小さい自分。

社会に出るまでは、理由なく折れることは非常に少ない。

僕は、まだ慣れません。社会人になりきれません。

 

「自分の感覚が社会の通年から離れたところにある」

僕も大学にいたときの感覚は、まったく社会と離れていると感じる。

一度慣れ親しんだものから抜け出るのは難しい。

社会というものが、本当に正しいのかどうかを見る客観性も忘れずに身につけたい。

 

「わからないことにこだわらない人は一から百は作れるけど、ゼロから一は作れないんだよ」

前者は日本人の典型のような気がする。

わからない、自分の担当ではない、自分は関係ないといって逃げる。

もっと貪欲に学ぶことが大事なんだと。

大学で学ぶ大切なことは、学ぶことと学ぼうとする意志の重要性だ。

 

「確かじゃない日常を過ごしながらも確かなものに死ぬまでに数多く出会いたいものである」

社会では、思ったことをそのまま発言することができない。

だからふわっと、捻じ曲げて、不確かなことばかりになってしまう。

でもそんな中で、本当に楽しめることに出会える時が一番うれしい。

 

「(テレビゲームについて)努力があまりにもスムーズに報われるから心地よいっていうのはあるなぁ」

なかなか努力が直ぐに報われないと感じることは非常に多い。

いや、本当に努力している人からみたら、何いってんだ甘い、となるのかもしれないが。

僕は、遠くの星より、目の前にぶら下げられたにんじんを目指すほうが頑張れる。

遠くの星を目指すときは、そこまでの道ににんじんをたくさんぶら下げて、

一歩一歩進んでいるという実感が欲しい。

この欲求を満たしてくれるのがゲームの魅力だろうか、恐ろしい。

 

 

「(ネガティブな気分について)ゆったりとした時間はかえって奴らに付け入る隙を与える」

忙しいときは、考える時間すらないので、マイナスな思考は出てこない。

逆に、ぼーっとしている時間が長いほうが、ネガティブは出てくる。

これは実体験としてもよく分かる。

無意味に、忙しくするときもあった。無意味だ。

 

僕は、長期の休みの際に、なぜか社会から阻害されたような感覚をもった。

平日なのに、会社に行ってない。

周りからどう思われているのだろうか、社会復帰できないんじゃないか、とか。

完全に自意識過剰。

客観的に割り切りたいのだけれども、なかなか割り切れない。

その時に読んで、あー、そうか、やっぱりそう思うよね。と肩の荷がおりたような気がした。

 

「みんながトンネルの向こう側を信じているならば、ルールとマナーはそれに沿えば間違いないはず」

困難なことから抜けだした時の感動は皆共通。

それに至るまでのところで、ルールだったりマナーだったりが求められる。

他人への指摘の仕方だったり、立ち振舞いだったり。

ルールとかマナーなんかに気を取られていると、いいアイディアって出てこないような気がするけど。

もちろん、場の人間の距離感によると思うが。

 

「好きなものを好きでいるために、自分の感覚に正直でいるために場を選ぶのである」

僕も、自分に関する質問に対する答えをするときに、その場によって答えを変えてしまう。

例えば、好きなものを答えて、それに対してがっつり話したいと思っても、
このメンツだったら求められていないなー、よし、テキトーに返答しておこう。というように。

自分を隠さずありのままにいられる友達というのは多くない。

だけども、そうやって正直にいたいから答えを選んでいるのはいいのだと、自分を肯定された気がした。

 

「自分の生活圏内のコントローラーの操作をちょっとだけ覚えてきたのかな」

楽しむということは、まず現状に慣れることがあって初めてできる。

まずは地に足つけること、それを過ぎると楽しくなるものね。

 

「本当は人に近付きたい、でも近付いて嫌われたくないという自意識過剰な人が人見知りになる」

これ、まさに。僕も人見知りだからよく分かる。

嫌われたくないから積極的に近づけない。

ハリネズミのジレンマだろうか。

積極的になおそうとは思わないけど。

 

「自分を取り囲んでいる(と錯覚している)価値観は狭く限定されているものであることに気づいて気持ちよかった」

自分の周りが全てじゃない。むしろ、世界からみたらとてつもなく小さいもの。

 

「(人のことはイジるくせにイジられることは嫌がる)そういう人がイジらせないかというと根本で自信が無いからだ」

イジられることは、興味を持たれているということ。

うーん、自信ないなぁ。

 

「挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束される」

岡本太郎の言葉。

著者はこれを挑戦したうえで不成功者になればいいと捉える。

すごい。

自分に言い訳をしながら進むことは、恥ずかしくない