【読書】「超」整理法/野口悠紀雄 分類しない限り検索はできないと信じ込んでいないだろうか?
名前の通り、身の回りに溢れている情報をいかに整理するかについて書かれた本作
1993年に発売されており、もはや時代遅れだといいたいのであるが、そんなことは全く無い。
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昔と比べて、現代はコンピュータが発達し、インターネットも進歩している。
しかしながら、依然として紙ベースの情報が多い。
特に会社においては、情報の多くは依然として紙である。
ペーパーレス化はあまり進んでいないといえる。
紙の情報をどのように整理するか。
そもそもなぜ整理するのか。
それは検索するため。
この前提をいつの間にか忘れていることがある。
分類しなければ検索できないと思い込んでしまっている。
我々、現代人は、この本で再度、情報の扱い方を認識するとともに、
分類することはあくまで過程
「われわれは、分類しない限り検索はできないと信じ込んでいる」
情報を保管しておくことの目的は、再び取り出すこと。
その時に探しやすくしておくことだ。
つまりは検索できればよいのだ。
分類はその過程であり、必須条件ではないことを再認識しなければいけない。
単純化であることが重要
「どの分類項目に入れてよいか分からない」
情報を分類する過程で出てくるのはこの問題である。
二つの分類にまたがったり、複数の解釈ができるものが往々にして存在する。
そんな場合、雑というテキトーな分類に入れてしまったり、放置してしまったりする。
それらが積み重なって破綻は起きる。
まずは習慣として簡単にできる方法というのが大前提である。
電話のもたらす便利さと弊害
「予告なしの連絡につねに最優先で対応しなければならないというのは、考えてみれば、誠に不合理なことではないか」
電話というツールは未だに良く利用される。
そして電話は突然にかかってくる。
理不尽の塊である。
携帯電話が発達したことで、そこから逃げる手段はなくなってしまった。
もちろん、重要な知らせをいつでも受けることができるというのは大きな利点ではある。
ある程度の知識を前提にした案内
「目的駅がどの路線にあるかを知らなくともよい」
ヨーロッパの時刻表は、駅名がアルファベット順で書いてある。
一方、日本の時刻表は路線別での記載となっている。
知らず知らずのうちに前提条件として、ある程度の知識を求めてしまっている。
本当に便利なのはどちらだろうか。
誰にでもわかる、そういった情報なのではないだろうか。
情報は取り出して、使うもの
「発想を支援するための環境を整える」
情報の保存と検索は、発想を支援するためのツールである。
もちろん、それだけではダメであるが、有益であることは疑いようがない。
そしてそれらを用いて、知的な人々と話し合うことが発想の原点になる。
すっきりとした頭で、頭の中での整理に無駄な時間を使ってはならない。
「アイディアは何もないところに突然現れたのではなく、潜在意識下で着実に思考が進んでいた」
何かの問題に取り組んでいる場合、無意識下でもそれらは動いている。
ふとしたひらめきが起きたように感じるのは、問題に対して取り組んでいるから。
ゼロから出てくることは難しいが、取り組んでいれば何か出てくる可能性は高い。
何を目的としてツールを導入するか
「全体としての情報処理システムをどのように組み立て、運営するかを明らかにする必要がある」
便利なツールを導入するだけでは何も変わりはしない。
何を目的とし、どのように全体を運営するかによって世界は変わる。
皆がそれを意識していなければ便利なシステムもゴミ同然と化す。
組織が大きくなればなるほど、意志の統一や疎通は難しくなる。
そういった意識が経営層にも浸透していればいいのであるが。
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