【読書】夢幻花/東野圭吾 黄色い花がもつ運命とは
負の遺産に対しての問いかけ
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花を愛でながら暮らしていた老人が殺された。
孫は事件現場から鉢植えが一つ無くなっていたことに気がつく。
それは黄色い花が咲いていた。
謎を追いかける過程で知り合った学生と刑事。
彼らもそれぞれに複雑な背景を抱えてこの謎に立ち向かっていた。
背負っていた運命どうしが絡みあい、その結果引き起こされた事件。
負の遺産を背負っていくのか、置き去りにするのか、選択を迫られた時に人はどうあるべきか。
現代にも多く残っているであろう負の遺産に対しての問いかけとも取れる一冊。
やりたいこととやらされていることの違い
「勉強が苦手なんじゃなくて、勉強したいことが見つかってないだけだ」
勉強が苦手、頭が悪い。
そういった発言を簡単にしてしまう人は多い。
でも本来はそうではない。
しっかりと考えているか、真剣に取り組んでいるか、それだけの違いなのだ。
勉強はしないけどゲームなら夢中で取り組める。
そう、違いは夢中になれるかどうか。
自分は勉強ができないと勝手に決めつけて、諦めることこそもったいない。
もちろん、嫌いな勉強をしなさいとは言わない。
勉強の中にはさまざまな学問があって、方向性があって、その中で何か一つ、琴線に触れるものがあるはずだ。
それを探すことが学生生活である。
「あれはノルマに追われている人間の目ではない、きちんとした目的を持った男の目だ」
目的=ノルマではない。
人間は、自分自身の中で完全に納得できる、もしくは譲れない目的というものがある。
モチベーションと言い換えてもいいかもしれない。
ノルマは人から与えられたものであり、必ずしも自分の目的とは一致しない。
逆に言えば、目的=ノルマが成り立つような人が多い組織は強いのだ。
同じ方向、同じベクトルを持った人間たちこそ集まって力を発揮する。
科学の限界を知るということ
「何もかも科学で解決しようというのは間違いだ」
科学を学ぶということは、科学によって出来る事を増やすことでもあり、
できないことを見定めることでもある。
科学は人間の能力を拡張させてくれるツールである。
何でも出来ると勘違いしてはならない。
科学は完全無欠ではなく、深く知ることで限界をはかるのだ。
理解が出来ていないものに対して、過度に依存するときっと後悔する。
人は過ちを犯す生き物
「過ちを犯さずに一生を終えられる人間などいないのだと」
人は過ちを犯して後悔する。
後悔しながら、どう行動するのかが問われている。
過ちに気づいても、見て見ぬふりをするのか、取り返しのつかない事になる前に挽回するのか。
時間は巻き戻すことはできない。
しかし、被害を最小限に抑えることはできる。
何かが起こったとしても、食い止める手段を考えることができる。
そのためにも、過ちを過ちと認めることができる人間であるべきなのだ。
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