【読書】はじめての構造主義/橋爪大三郎 現代思想を代表する構造主義
漠然とした答えでしか無いが、物事の表象ではなく、その裏側にあるもの
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構造主義という言葉を耳にする。
現代思想の根幹をなすものであり、注目を浴びているからだろう。
だが、構造主義の構造ってなんだろう。
漠然とした答えでしか無いが、物事の表象ではなく、その裏側にあるもの。
ここの人間それぞれの発言や行動ではなく、その背後に存在するより大きな力とでも言うのだろうか。
歴史や倫理で思想というものの触りだけ学習する。
いや、学習するというよりはその場限りで暗記をするといったほうが正しい。
そんな我々にとって、現代思想は身近なものではない。
しかしながら、そこで考えることを嫌がってはいけない。
新たなものに触れることによって自分の中の考えを少しでも前に進めることができるかもしれない。
考えを体系化することは非常に難しいものであるが、体系化されるものに触れることはまだ易いものだろう。
現代人たる我々が現代思想を知るための一冊。
できる人は仕事の分野は関係ない
「大切なのはそこでの方法である。どういう前提に立ち、どういう仮説にもとづいて、仕事を進めたか」
分野によって仕事の仕方は違う。
だが、進め方においては大きな違いはない。
前提と仮説、実行のプロセスは何も変わりはしないのだ。
分野が違うからといって全く参考にならないと考えるのは間違いである。
それは視野の狭さが露呈しているだけなのだから。
世界は言葉によって切り取られている
「言語が異なれば、世界の区切り方も当然異なるのだ」
ある言葉が何を指すのかは、社会的、文化的に決まっているという。
なぜならその言語が勝手に世界から切り取っただけなのだから。
言語というフィルターを通して、プロセスを通して世界を理解するため、異なった捉え方をする。
その捉える先である世界というものは同一であったとしても。
前提を疑うことから始まる
「構造主義は、真理を制度だと考える。制度は、人間が勝手にこしらえたものだから、時代や文化によって別のものになるはずだ」
構造主義が浸透する前は、真理は神が与えたもの、従って正しいものだと捉えていた。
構造主義ではこれを、人間が勝手に作っているものであり、無条件に正しい物などないのだという立場に立つ。
固定観念にとらわれていないか
「ある知のシステムに閉じこめられているくせに、そのことに気付かず、それを当たり前と思っているからじゃないか」
構造主義は、制度よりも更に上の視点を有する。
勝手に当たりまえという前提を作ってしまっており、そこから抜け出すことができていない。
暗黙の了解という思考停止に陥ってしまっているのではなかろうかという警鐘を鳴らす。
これは色んな面に当てはまるものであり、非常に耳が痛い。
捉えることはできないが存在する集団知
「レヴィ=ストロースは、主体の思考の手の届かない彼方に、それを包む、集合的な思考の領域が存在することを示した」
構造主義を一言で表すとこの文章になるのではないだろうか。
集合的な思考とは大勢の人々をとらえる無自覚な思考であり、主体の思考によって直接とらえられないもの、不可視なものなのだ。
捉えることはできないものの、そこにあるのだという考えを持つことはそれで重要なことだ。
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