【読書】国家の品格/藤原正彦 論理的に正しいことと善悪は別次元
論理を展開するためには自ら出発点を定めることが必要で、これを選ぶ能力はその人の情緒や形にかかっています
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なぜいまさら読み返そうと思ったか。
著者が無私の日本人の解説を書いていたから。
なぜ気になったのだろうか。
日本の品格が問われていると感じたからだろうか。
偽装、詐欺、そんな言葉が新聞を覆い尽くしている。
そうまでして、金を稼ぎたいのか。
資本主義と市場原理に追い込まれすぎているのだろうか。
人のことを考えずに自分だけ良ければそれでいいという利己主義が強すぎるのではなかろうか。
品格という言葉はそれを定量的に測るのが難しい。
逆にお金の多い少ないは見ればすぐわかる。
目に見える、比べやすいものを目標にするのは合理的である。
しかしながら本質は見失いやすい。
我々は幸せに生活するために生きているのであって、お金を稼ぐために生きているのではない。
何度読み返しても、響く本。
実力主義が正しいわけではない
「いつも敵に囲まれているという非常に不安定な、穏やかな心では生きていけない社会になってしまう」
果たして、過度な実力主義は何を招くのだろか。
自分が頑張りきれなくなったら、周りの邪魔をする人が現れてこないだろうか。
ギスギスした職場など、誰が行きたいのだろうか。
論理が全てではない
「論理的に正しいことと善悪は別次元のことです」
合理的なことは、損得勘定が大半である。
善悪はそれとは全く違うベクトルであることを忘れてはならない。
感情的にダメであることを、忘れてはならない。
お金を稼ぐために、見ないふりをするのではなく、稼げなくてもいいから手を差し伸べることが世の中には必要だ。
英語を話せるだけでは国際人ではない
「日本人としての教養をきちんと身につけていないと、会話がはずまない」
国際人とは何か。
英語を話せる人ではない。
日本人としてのバックグラウンドをもち、外国人と話すことができる人のことだ。
英語はツールであり、その人らしさは価値観や教養からにじみ出る。
ツールと目的を混同するようになってしまったのはいつからだろうか。
「論理は重要であるけれども、出発点を選ぶということはそれ以上に決定的なのです」
AだからB、BだからCという論理は、過程において正しくても、入り口が違っていては元も子もない。
入り口はどうやって決めるのか。
自分の立ち位置を定めるのは、自分の考え方次第である。
そこには論理もなにも介在しない。
善悪が存在するだけ。
「主権在民には大前提があります。それは、国民が成熟した判断をすることができるということです」
市場が正しい判断をできるという前提が必要な市場原理と全く同じ。
国民一人一人が正しい判断ができなければ、束になった所で何も変わらない。
判断をすることができていないと、しっかり認識すべきなのだ。
足りないものがあるということを知るべきなのだ。
日本人であるということ
「新渡戸稲造は武士道の最高の美徳として、敗者への共感、劣者への同情、弱者への愛情と書いております」
これらは資本主義と全く逆の考え方だ。
勝者がすべてを得るのではなく、皆に分け与えることが根底にある考えだ。
福祉国家の根源でもある。
これらの考えを忘れてはならない、日本人なのだから。
「祖国とは国語」
英語はあくまでツールであり、国語ができなければ日本人ではもはやない。
忘れてはならないのは、自分が日本人であるということを何を持って証明できるか。
胸を張って日本人といえる人間になることこそ、日本のためになるわけであって、お金を稼ぎGDPを上げることよりも日本のためになるのだ。
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