【読書】風は青海を渡るのか?/森博嗣 人間が作り出した知性はやがて人間になろうとする
「そこは、聖地だった。人類の聖地だ」
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森博嗣のWシリーズ3作品目。
ハギリ博士たちは再びナクチュ特区へ向かう。
地下に眠っていた資料を探しに。
そこで眠っていた過去を明らかにするために。
ウォーカロンメーカーの研究施設に招かれることになったハギリ。
その帰りに、聖地がもう一つ存在することを知らされる。
遺跡は何を語るのか。
遺跡に潜む機械は何を語るのか。
最後には、シキという名の子供が現れる。
マガタ博士は真賀田四季なのか。
今までの作品とを行き来する中で、知性は震える。
人間の未来はどこに行くのか。
ウォーカロンが行き着く先はどこであろうか。
ウォーカロンが人間になろうとしているのであろうか。
人間が作り出した知性はやがて人間になろうとする。
正しさとは人間のみが有する概念
「正しいとは、我々の頭脳が下す評価として、特徴的なものです。しかし、けっして、自然界に存在する一般的な概念ではないでしょう」
正しいという概念、それは一体どこから生まれるのか。
人間は正誤を重要視する。
その正は何を拠り所にしているかと言えば、社会の一般的な感覚。
つまりは当たりまえだと人々が考えるか否か。
皆が納得感のあることかどうか、受け入れられるかどうか。
人間は社会的生物なのだ。
生と死の違いはどこにあるのか
「生きているものは、生理的に生きていない状態を嫌っている」
生を持っている生物は、未体験の死を嫌う。
生きているからこそ、死を嫌うのか。
生に価値があると信じ込まされるのか。
科学によって死を回避することも望むかもしれない。
人間とは、何だろうか
「基本的な初期設定で非常に穏やかで友好的、従順ですが、知的な好奇心が乏しく、必要以上に臆病です」
初期のウォーカロンに対する評価。
果たしてこれは、ウォーカロンなのか。
人間にも丸ごと当てはまるのではないだろうか。
知的好奇心がなくなってしまえば、人は人でなくなる。
考えることをやめてしまったら、そこで終わりである。
気まぐれさえ得てしまえばウォーカロンは人間と一緒
「ウォーカロンの中に、既に人間に変異している部分が存在するのだ」
ハギリはひらめきを得る。
人間にあってウォーカロンにないもの、それは気まぐれ。
気まぐれという概念がウォーカロンに入ってしまえば、それはすでに人間である。
人間になりつつあるウォーカロンがいることを知ってしまった。
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