【読書】日本人の英語/マーク・ピーターセン 論理的に英語という概念をつかめる一冊
外国人から見た日本人の英語
英語の表現や文法をを支えている感覚と論理。
それは日本語のものとは大きく異なる。
学校教育では暗記するものとしてしか教えてもらえない。
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論理的に、何が違うのかを教えてくれる本書。
なぜaではなくtheなのか。
consequentlyとthereforeはどう違うのか。
知らず知らずのうちに、そういうものだと無理解で受け入れてしまっていることがある。
そういうものに気づかせてくれる別の視点を有する作者の本というものは非常に興味深い。
暗記ではなく、概念を掴む。
英語の雰囲気を掴むための一冊。
「それぞれの名詞が、a、the、無冠詞、単数、複数のどの意味的カテゴリーに入るかを、一つひとつ確かめながら英文を読んでいくこと」
名詞の前に前置詞がつくのではなく、前置詞の後ろに名詞がつく。
前置詞によって、名詞の意味が確定する。
その裏側には、その名詞に対するイメージや捉え方も含まれている。
今まで、前置詞なんてなくても大体わかるじゃないかと思っていた自分の
貧弱な英語力が恥ずかしくなった。
「outというのは三次元関係を表し、動詞に立体感のあるものの中から外へという意味を与える。
それに対して、offというのは二次元関係を表し、動詞にあるものの表面から離れてという意味を与える」
このイメージ、非常に理解しやすかった。
Clean out your deskは机の中を片付けてきれいにする。
Clean off your deskは机の上を片付けてきれいにする。
この違い、熟語として一々覚える必要がないのだ。
そして、inはoutの、onはoffの反対語。
イメージと繋がりで理解が深まるというのはこういうことか。
「over/aroundの例文で表現される動きはいずれも弧状を描くもので、
その弧状の軸の縦横によってover/aroundの使い分けができる」
overは乗り越える動き、aroundは避ける動きというイメージ。
弧の軸が、水平方向か垂直方向という概念的な区別ができる。
語学において、こういう暗記ではない、イメージでの理解というものが
非常に珍しく新鮮だと感じた。
学校教育の現場では掴めないこのような感覚。
受験で点数を取るだけの教育では、養うことができないであろうし、
そもそもこのように理解している人は少ないのではないだろうか。
理解ではなく暗記で覚えている人が、教えるわけだからしょうがない。
「慣用表現のほとんどの場合は論理的根拠も明確にできている」
ひたすら単語帳で覚えるのではなく、理解することが深い知識につながり、ひいては英語が好きになる、抵抗感がなくなるのであろう。
「英語にとっては行動と状態の時がもっとも大事であるが、
日本語にとっては行動と状態の完了の程度がもっとも大事なのである」
日本語では、行く前、行った後という表現しかないが、英語の場合は、before I went, before I had gone, before I will have goneなどと数多くある。
英語の場合は、時間軸のイメージが強くあるということだ。
現在完了形などの説明の際に、時系列の軸を使って説明を受けた記憶が思い出された。
そのときに非常に不思議な気分になったのは、
日本語を使う際に、時間軸をそこまで重視していないからだったのだろう。
「英語の感覚でいうと、受身は場合によって著者が自分の書いたことに対しての責任を回避しようとしている印象を与えるケースがよくある」
理系の論文などで、受身がよく使われることに対するコメント。
確かに、主観が入らないようにというイメージで受身を使うことは多い。
だが、英語圏の人から見ると、受身を使いすぎている印象だという。
受身を使わなければもっと短く、シンプルでわかりやすい文章になるようだ。
結局のところ、文章は理解されなければ意味が無い。
一番大切なのはわかりやすさということか。
「accordinglyはある状態にあわせて何かをする場合に使う。
consequentlyはある状態の当然の結果として、何かの状態になる場合に使う」
「thereforeは、書き言葉のaccordinglyやconsequentlyよりさらに改まった印象がある」
僕は何となくどれも、したがって、という意味で捉えていた。
そもそも、単語を一対一対応で日本語に置き換えて覚えているというのが良くないのだろう。
こういう単語一つ一つの違いをしっかりと理解することが、いい英語を使えるようになるための近道なのだろう。
「Asはやや古風で、英国めいているような、Since, Becauseよりさらに改まった感じがする」
接続詞は難しい・・・。
Asは色んな意味があるから、困ったときに頼っている。
中途半端な理解ではいけないのだと反省。
「Genji Hikaruなんて、あんまりだ」
日本人の名前を英語で言う時に、姓名を逆にする習慣が染み付いている。
だけれども、日本語でアルベルト・アインシュタインをアインシュタイン・アルベルトとは言わない。
英語だからというので、Hideki Nobuchiになるのは不自然だと述べている。
日本人自身がこうしてきたから、今のような不自然さが顕在化しているようだ。