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【読書】動物化するポストモダン/東浩紀 オタクの変遷は社会の変遷。今後我々はどこに向かうのだろうか

オタクから見た日本社会

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

新品価格
¥756から

アニメゲームといったサブカルチャーに焦点を当てて分析をすると、見えてくる現代社会の構造

政治的、心理的にも通じるものがあり、なぜ日本でサブカルチャーが納得できる解説。

 

単純にアニメを見て楽しむだけでなく、その裏側にある世界観、ひいてはそれを創りだした社会観。

様々なものがアニメという作られた世界の中に埋め込まれている

それを我々はどれだけ読み取ることができているのだろうか。

 

表面だけさらっと観察して、その中身をしっかり理解しているだろうか。

深さを、主張を、思いをどこまで汲み取ることができているだろうか。

 

この本を読んだあとであれば、

ただのエンターテイメントではなく、もっと深く楽しむことができるのではないだろうか。

アメリカ文化の国産化 

「オタク系文化の出現が日本独自の現象だと考えていない」
「オタク的なもの、日本的なものとしている多くの特徴は、じつは、アメリカから輸入された技法を変形し、その結果を肯定的に捉え返すことで作り出されたものなのだ」

結局は戦後のアメリカへの憧れによる模倣の一部であると著者は言う。

戦後の高度経済成長のときに、西洋文化をいかに国産に取り入れるかという動きの一部として、オタク系文化は日本にも移ってきた。

だからこそ世界で受け入れられるという現実が存在する。

 

 

主張の手段としてのサブカルチャー

「日本の右翼的言説は一般にサブカルチャー化しオタク化することで生き残ってきたとも言える」

政治的主張もサブカルチャーに込められているのは明らかだ。

特にSFの世界では非常に分かりやすく描かれている。

自分が創りあげた世界を作れることで発言の自由度も増し、説得力も強まる。

それらに触れることで、考えるきっかけを得ることも魅力の一つだと僕は思っている。

 

縋るものが無くなったからこそ、作り上げる

「社会的な価値規範がうまく機能せず、別の価値規範を作り上げる必要に迫られているからなのだ」

近代に続く時代であるポストモダン

そこにはもはや大きな物語はない。

近代国家では、政府主導のもと様々なシステムやインフラが整備されてきた。

国が描く大きな物語の一部として人間は生活をしてきた。

しかしながら、今や人々は国を頼りにすることが少なく、その結果国の力は弱まった。

人々は何かに縋るために、別の価値規範をつくる必要がある。

その空白を埋めるために作られた行動様式の一つが趣味という共同体。

政治や主張と結びつけることでこんなにも綺麗にまとまってしまう。

 

メッセージではなく表層のみを消費する

「消費者が真に評価し、買うのはいまや設定や世界観なのだ」
「物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」

サブカルチャーを好む消費者は何を買っているのか。

例えば二次創作をつくるために消費者が求めるのは、原作の設定や世界観である。

原作によって作られる世界の枠組みを彼らは求める。

原作を楽しむよりも、その枠を求め、そこを出発点にして走りだす。

プラットフォームを売る商売になったともいえる。

だが、物語や主張を掴むことこそ、面白いと思う。

 

ポストモダンの世界では人間は動物に近づいている

「動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要とする」
ポストモダンの人間は意味への渇望を社交性を通しては満たすことができず、
むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている」

タイトルにもある動物化とはどういうことか。

それは排他的に、自分だけで満たしきること。

他者を必要とせず、自分だけの世界で閉じること。

極力無駄なコミュニケーションをそぎ落とし、顔の見えない消費者になり、システム化することで他者を排除している。

サブカルだけでなく、社会全体がいま、そうなっている。

その状態で何でもできるという社会が恐ろしい。

システムが崩壊した時に何が起こるだろうか。

 

我々は自分の足で立てるか

大きな物語の凋落のあと、世界の意味を再建しようと試みて果たせず、結局はただ小さな感情移入を積み重ねることしかできない私たちの時代のリアリティ」

縋ることのできた大きな物語が消滅し、大海原に放り投げられた我々。

その次に縋るものはなんだろうか。

裏切られるのが怖くて、他者に心を許すことができない。

だからこそ目に見える形で残しておきたいからこそ、貨幣が生まれてきたのだろうか。

貨幣のお陰で我々は消費者になることができる。

消費者として得た物たちで自分自身を満足させること。
それこそが現代人のふるまいではないだろうか。

 

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