【読書】クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い/西尾維新
混物語つながりで
先日、傷物語の映画を見て、特典の混物語で改めて西尾維新の面白さを再確認。
そして、本棚から引っ張り出してきたのがキッカケで再読。
新品価格 |
西尾維新はテンポがいい、そして、僕の厨二心をくすぐってくる。
だが、登場人物が吐くセリフの中には、心に刺さるものが結構ある。
本作は、戯言シリーズの第一作。
機械いじりの天才少女と斜に構えている少年の物語。
島の別荘で殺人事件、島にいるのは天才たち。
不思議な謎と思いがけない真実がたちはだかる。
「やりたいことがそのままやらなければならないことに直結している人生。
それはぼくには望むべくもない生き方だった。
やりたいことも、まだやるべきことも、一つとして発見していないこのぼくには。」
やりたいこととやらなければならないこと。
趣味を仕事にするのは良くないという話をきく。
好きだからやっていることが、いつの間にか強制的にやらされて、
それが嫌になってしまうことを恐れるがゆえ。
確かに、そうなってしまっては元も子もない。
だが、常に好きというモチベーションが強制力よりも上回っている場合においては、いいことだと思う。
先人たちは、それが難しいからこそ、こういう言葉を残すのだろう。
そうなると、趣味ど真ん中ではないけれど、かするくらいのことが仕事になるといいのだろうか。
例えば、車を運転することが好きな人は、レーシングドライバーになるのではなく、車のエンジニアになる、とか。
「努力をしたというのはそれで立派な結果だからね」
努力が実らなかったとしても、努力をすることが充分に結果であると。
やればできるけどあえてやらないというような消極性より断然好ましい。
僕は、努力をするという行為は、非常に難易度が高いと思っている。
大学受験などでも、周りがやっているから僕もやろうというように、
流されて努力することはそこそこできる。
だが、本当の努力というのは、誰かと一緒にやっているとか、
誰かに認められたくてやっているのではなく、あくまで純粋に自分のためにやる。
いかにしてモチベーションを維持し続けるのかという難題に立ち向かう力こそ、努力。
果たして僕は今まで努力したといえることは、あるだろうか。
「専門だとかなんだとか、そんなので縛られるなんて真っ平だね」
青い天才の言葉。
意味は多少違うけれど、自分の範囲はここまでと勝手に決めてしまう人がよくいる。
専門じゃないからわからないとか担当じゃないからわからないとか。
気持ちはよく分かる、わかるんだけど、どこまで手を伸ばせるかというのがある意味その人自身の価値になる。
その場所で、強く生きていきたければ、手は広く伸ばす。
逆に、そこに縛られたくなければ、自分の行きたい方向に手を伸ばす。
一番縛られてほしくないのは、理系文系の壁だと思っている。
どっちもわかってないと駄目だよ、やっぱり。
会社に入ると文系の人、理系の人、両方いる。
文系だからよくわからないという発言で、思考停止するようなそんな社会人たち。
反面教師にして努力したいですね。
「失敗を繰り返すことだけは避けなければなりません」
一度の失敗はしていい。
繰り返さなければいいのだ。
日本人は、失敗を過度に恐れるきらいがある。
減点評価という悪しき制度もある。
いつまでその檻の中にいるのか。
きっと一企業が始めたところで大きくは変わらない。
どうせやるならば、国を挙げて。
例えば、企業の新卒一括採用を廃止にし、中途採用を増やす。
そうすれば、大きな失敗をしたとしても、転職先に次のチャンスはあるかもしれない。
そういう人材の流動性を高めていかないと、新たな価値を創りだすことは難しい。
0から1を生み出せる国にすることが、日本の今のステージであろう。
aichikenmin-aichi.hatenablog.com