【読書】(日本人)/橘玲 日本人は特別なのか?
日本人のイメージとはなんだろうか。
協調性を重んじる、権威に弱い、アメリカに憧れる。
果たしてそれは論理的に正しいのだろうか。
これらのイメージは西欧社会が作ったものである。
日本人は実は、合理的な考え方を好む。
今一度、日本人について考えてみよう。
「私たちは、自分自身を他人の目で見ることはできない。日本人は特別だという思い込みだけがあって、どのように特別なのか、その客観的な評価をほとんど意識したことがない。」
「ベタな人間関係は面倒くさいのだ」
ほとんどのサービスが貨幣で購入できる世界においては、面倒くさい関係は不要になる。
逆に言えば、面倒な親戚づきあいが嫌だからこそ、村社会が嫌だからこそ、貨幣空間が拡張される。
貨幣空間が拡大したその後に残るのは最小の愛情空間のみ。
その小さな空間を失ってしまえば、あとに残るのは孤独のみ。
貨幣空間により面倒なしがらみから抜け出すことができるが、孤独になる可能性も高まる。
愛情空間や友情空間を拡張出来る人間こそ幸福になれるんだろう。
「日本に特有のものではなく、すべての農耕社会は和と妥協によって営まれているのだ」
農耕社会はそのなかから退出することができないという特徴を持つ。
退出できない組織において、組織を管理する人間は不満を抱える人間を減らしたい。
つまり選択を迫られたときに最適解ではなく、無難な解を選んでしまう。
和と妥協により作られた農耕社会。
日本人が妥協好きではなく、農耕社会がそういう性質なのだ。
「単身赴任は日本に特異な現象で、外国人には理解不能だ。それは彼らが、家族を分割できないひとつの単位と考えているからだ」
実家から出て、自立するというのが当たりまえになっている日本。
家族は一緒に住むべきという考えが強いアメリカ。
果たしてどちらが功利主義的であるか。
いざ考えてみると、日本は結構ドライなのだ。
「日本人に職業を訊くと会社名をこたえるが、外国人は営業や経理、研究開発などの職種をこたえる」
属するべき組織というものを家族というつながりではなく、会社に求める日本人。
だからこそ会社に時間を、人生を捧げることに疑問を持たない。
自分のために仕事をしたいと思うのが普通ではないのだろうか。
会社というのはあくまでツールだと。
「アダム・スミスの大発見は、ゆたかさの秘密は分業にあるということだった」
人が仕事を分担することで、皆が得意を活かせる。
そして生活のネタを作ることができる。
忙しい人を一人作るよりも、そんなに忙しくない人が二人いるほうがいいと思う。
「自由、平等、共同体、効用の最大化はいずれも社会にとって大切な価値だが、さまざまな場面で対立し、すべてを同時に満たす理想的な解は存在しない。」
政治哲学の違いは、この中でどれを優先するのかの違いである。
目指すべきものは同じであるはずだが、それを求めるプロセスに違いが生じる。
全く違う方向を目指しているのではないことを理解することが必要。
「貨幣の効用が遁減するのに、評判の効用が遁増するのは、評判こそが社会的な動物である人間が求めるほんとうの価値だからだ」
貨幣は増えすぎると途中でどうでも良くなってくる。
だが、評判というものは徐々に欲しくなる。
評判をあげるためにはいい仕事をしなければならない。
社会に認められる仕事を。
「正しく設計されたアーキテクチャは、ユーザーを道徳的に振る舞わせることができるのだ」
組織の立て付けが正しければ、その中にいるひとは正しい振る舞いができる。
正しい振る舞いが正しく評価されなければ駄目だ。
正しい振る舞いが評価を得られる組織というものが良い組織であり、良い会社なのだろう。
「日本人は世界の誰よりも、他人に迎合するよりも、自分らしくありたい。自分の人生の目標は自分で決めたいと考えている」
これが本当の日本人の姿。
世界の中で特異な価値観であるものの、自分たちはそれを認識していない。
今一度、日本人であることに誇りを持とう。
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