【読書】高校入試/湊かなえ 必要なのは、変化を起こす気持ちと冷静な手段
受験生だった当時は受かるかどうかがすべてだった
告白で有名な湊かなえ。
本作もテーマは学校。
学校の中でも特に、入学試験について焦点を当てた物語。
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多くの人は、高校入試で始めて学力でフィルターをかけられる。
行ける場所が限られるというフィルターを。
今までは漫然と学校のテストを受け、テストの成績が悪くても特に何もない。
だが、高校入試の場合は、その高校に行けるか否かが決まってしまう。
高校の三年間なんてたかが知れている、今となってはそう思うのだが、
受験生だった当時は受かるかどうかがすべてだった。
そう錯覚していた。
本作は、入試を運営する側の教師の視点から描かれている。
受からなかったことに不満を抱くもの、高校入試の制度自体に不満を持つもの、
それ以外のおかしな風潮に違和感を感じるもの。
様々な人間の思惑が重なって、事件は起こる。
インターネットの掲示板という匿名性の高い場所で、糾弾されることの辛さ。
不特定多数が顔を隠して発言することの特殊性も相まって、事件は起こる。
学歴・肩書と人間性は別物である
「ここって偏差値は学区で一番高いかもしれませんけど、何がそんなにすごいんですか?」
「教員採用試験に合格したか否か。それだけで、人間性まで測られるのだ」
学歴に固執しすぎる大人たちへの言葉。
どこの高校に通っていたって、どこの大学出身であって、どこの会社に勤めていようが、大して代わりはない。
いい大学を出ている人間が高い人間性を持っているかと言えばそうではない。
むしろ、いい人かどうかを学歴や肩書だけで図ろうとすること自体が思考停止のように感じる。
人そのものを見るべきだ。
肩書に固執する人は、それができないということを暗にほのめかしているだけ。
「世の中、大声を上げたもの勝ちなのだろうか」
入試に首を突っ込み過ぎる保護者たちの行動を見た時の言葉。
ゴネれば勝てる、そんな理不尽がまかり通ってはいけない。
声の大きい小さいは関係ない。
誰が言ったかは問題ではない。
国会でも匿名性の高い掲示板での発言に対し、誰が書いたのかという返答が出ることが不思議。
誰が書いたかではなく、内容で判断して欲しい。
議論とはそういうもの。
誰が書いたかではなく、多くの人達の共感を得ているということに着目すべきなのだ。
「インターネットの世界でしか意思表示をしない、何を考えているのかわからない子どもよりも、目の前にいる人間に何らかの意思表示をしている子どもの方が健全だ」
目の前で意思表示をしないというのは、そこで意思表示をすることに対して意味を見いだせないから。
つまり、そこで自分が何かを発信したとしても何も生まれないし変わらないと、諦めてしまっている。
子どもの頃から、諦めるということを学び過ぎるのは悲しい。
大人になってからも諦めずに、意思表示をし続けたい。
たとえ何も変わらなくても、誰かは気づいてくれるはずだから。
気持ちとやり方、双方に気を配ること
「銃弾を受ける覚悟のない者は、攻撃を受けない方法を考えなきゃいけないのよ」
「何かを変えようという気持ちを持つことは大切です。でも、やり方は考えないといけない」
正論を振りかざすだけではいけない。
変なところから銃弾は飛んでくる。
意味不明な銃弾と相打ちになってはいけない。
立ち振舞いも考えたうえで、覚悟を持って、芯をもって主張できるかどうか。
言葉は諸刃の剣
「悪意のかたまりである言葉は、心を破壊する恐ろしい力を持っている」
悪意をぶつけられるのは嫌だ。
たとえ匿名性の高いインターネット上であっても。
ぶつける側は、軽い気持ちで投げているのかもしれない。
だけれども、受け取る側は辛い。
普段、本音で発言できていないからこそ、匿名の仮面を被ってキツイ言葉を放つことができるのではないだろうか。
言葉は使い方によっては便利だが、凶器にもなりうることを忘れてはならない。
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