【読書】君の名は。/新海誠 私は、僕は、だれかひとりを、ひとりだけを、探している
星が降ってくるようだった
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話題の映画、小説版。
田舎暮らしの女子高生、三葉。
彼女は夢を見る。
その夢では自分が東京に住む男子高校生になっていた。
東京暮らしの男子高校生、瀧。
彼も夢を見る。
山奥の村で暮らす女子高生になる夢だ。
やがて二人は入れ替わっていたことに気づく。
交わることになった彼らはやがて壮大な運命に翻弄されていく。
彗星を鍵にした運命の物語。
時間は組紐のようにくっついては離れ、離れてはまたくっつく。
時間の流れという無常の存在に抗いながら、二人は生きていく。
映画もいいが、小説もいい。
どっちがいいとは決められない、むしろ両方とも見て欲しい。
映画にしか無い臨場感と、小説にしか無い奥深さが存在する。
神さまに何を願うか
「神さまが本当にいるならば、それでもなにを願えば良いのか、私は自分でも分からないのだった」
神に祈るとき、人は何を願うのだろうか。
自分の手の届かないことを祈るのだろうが、それは一体なんだろうか。
人それぞれではあるものの、多くは自分にとってどうすることもできないことなのだろう。
願っても願わなくても、何かしら後悔は出てきそうだ。
時間は組紐のように寄り集まる
「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。」
三葉の祖母が時間の流れを組紐に例える。
そしてそれをムスビという。
映画でも、小説でも、この組紐が時間とともに物語の根幹を成していることに気づく。
それは彗星もしかり。
現実にも時間の組紐が存在する。
しかしそれを目にすることはできない。
彗星のように現れ、消える
「まるで遅れてやって来た彗星みたいに、突如俺を訪れ、跡形もなく去って行ったなにか」
瀧はこう思う。
記憶の中には残っていない、残っていないのだが、何か忘れていることがあると。
それはまるで彗星のようで、突然やってきて、突然消える。
それを探しているようで、実は何を探しているのかわかっていない。
そんなこと、意外とあるんじゃないだろうか。
人は記憶をたどることで生きる
「ひとは大切なことを忘れていく。けれども、そこに抗おうともがくことで生を獲得するのだ」
人は忘れる生き物だ。
忘れることに対して抗う、それが生きること。
自分の足跡を振り返りながら、確かなものにしていくこと。
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