【読書】羊と鋼の森/宮下奈都 気づいたら自分も背中を押されている一冊
気づいたら自分も背中を押されている本
紀伊國屋書店の2016キノベス第1位に選ばれた本書。
平積みでプッシュされていた。
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題名を見ても何の話かわからない、だけどもなぜか惹かれる。
せっかく本屋に来て、偶然巡りあったのだからと思って手に取ったのがキッカケ。
題材は、ピアノの調律師。
冒頭の出会いのシーンから引き込まれる。
主人公がピアノに魅せられていくのと同時に、僕も引きこまれた。
この本の世界に、作者の文章に。
珍しい職業、どんな仕事なんだろうと読み進めるうちに、
主人公の様々な葛藤と励ましに触れる。
気づいたら自分も背中を押されているような、そんな本だった。
優しく、本当に優しく押してくれる。
「この仕事に、正しいかどうかという基準はありません」
努力の方向性を尋ねる主人公に対しての返答。
世の中のほとんどの仕事に対しても言えることではないだろうか。
正しいことは、見る側の視点や視野の広さによって大きく変化する。
会社としては正しいことであっても、個人として見たら納得できないことであったり、国としてみたら、少しずれているようなことであったり。
また顧客からすると、正しいとは正反対の方向かもしれない。
雇われる側に立つと、個人と会社の間に違いが生じても間違いなく会社側に軍配が上がる。
そのストレスに耐えることが、固定給料をもらうことへの代償か。
「考えてもしかたのないことを考え始めたら、
ほんとうに見なきゃいけないことを見失ってしまいそうだった」
他人や周りの環境に気を取られすぎて、自分のことを見ることができなくなることがある。
自分が頑張っていても、他人がさらに頑張っていて、負けてしまうようなこと。
それはある意味しかたのないことだ。
結果はもちろん大事だけれども、それ以上に自分が頑張っていることが重要なのだ。
結果に結びつく努力のみを賞賛するのではなく、努力自体を賞賛すること。
努力を理解して、賞賛してあげられるのは、自分自身。
「ほんとうにつらいのは、そこにあるのに、望んでいるのに、自分の手には入らないことだ」
見えていないものに対する憧れというものはある。
自分の手からは程遠いものと理解しているから、諦めることは比較的容易だ。
しかしながら、目に見えているのに手には入らないものはつらい。
いつまで頑張れば、どれだけ頑張れば手に入るかもわからない。
そういった期限が決められていない過程というものが重たい。
「ステージの上の黒い森から美しいものが溢れだしてホールを満たした」
ホールでピアノのコンサートを聴いたときの主人公の視点からの風景。
この表現が、自分もコンサートホールにいるかのごとく引き込んでくれる。
頭の中に情景が浮かぶ、そんな一文。
「何かに縋って、それを杖にして立ち上がること。世界を秩序立ててくれるもの。」
人が何かに向かって歩き出すときに、立ち上がれないときに、助けてくれるものは何か。
それは個人個人でもちろん違うのだろうし、見つけている人、見つけていない人もいる。
自分の心の軸に添え木してくれるような存在を見つけたいものだ。
僕にとっては、本がそれに近いのかもしれない。
「才能という言葉で紛らわせてはいけない。あきらめる口実に使うわけにはいかない」
自分には才能がないという言葉は、無条件降伏と思考停止の塊なのだと気付かされた。
この言葉に出会って、今まで遠ざけていたものに挑戦したいと、そういう気持ちになれた。
厳しいけど優しい言葉、コツコツ頑張っている人の背中を押してくれる。
「わがままが出るようなときは、もっと自分を信用するといい」
わがままというのは、自分がそれに対してこだわっているということだ。
それだけ好きなのだ。
だから、自分の感覚を信じてあげることが求められる。
わがままでいることは大切なこと。
「道は険しい。先が長くて、自分が何をがんばればいいのかさえ見えない。
最初は、意志。最後も、意志」
「努力していると思ってする努力は、元を取ろうとするから小さく収まってしまう。自分の頭で考えられる範囲内で回収しようとするから、努力は努力のままなのだ」
コツコツがんばっている人に対してのメッセージと僕はとらえた。
この本は全体を通して、優しく背中を押してくれる。
方向は間違ってないんだよと肯定してくれる。
長い目で見るということは非常に難しい。
自分の縋るものを見つけて、一歩ずつまっすぐに進んでいくこと。
進み続ける原動力は、才能と呼ばれる意思の強さだ。
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