aichikenminの書斎

20代サラリーマンが、読んだ本と、心に残った言葉、その時考えたことを徒然なるままに書き留めたもの(金融、理系、工学、航空機、読書)

【読書】私たちはどこまで資本主義に従うのか/ヘンリー・ミンツバーグ 働く場をつくるために、役に立たないものを消費しなくてはならない

いつまでも市場が解決してくれるなどと思ってはならない

刺激的なタイトル。

私たちはどこまで資本主義に従うのか―――市場経済には「第3の柱」が必要である

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資本主義が世界を支えている現代において、それを疑うことは少ない。

だけれども、皆、何かおかしいと気づいているのではないだろうか

 

「昔は、役に立つものを生産するために働いていた。
しかし今は、働く場をつくるために、役に立たないものを消費しなくてはならない」

この一文が現実を良く表しているのではないだろうか。

 

効率化という名目で従業員に負担をかけ、企業の利益を拡大する。

節税という名目で、社会のために支払うべき税金を縮小する。

そうまでして成長を追い求める企業の姿に、違和感を覚えはしないだろうか

 

 

社会には、営利企業だけでは解決できない問題がある。

それは政府に任せるだけではいけない。

政府と企業の二元論ではなく、多元セクターという柱を加えなければならない。

 

多元セクターは社会起業家に代表される社会問題を解決する人々。

これら3つのセクターがバランスを取り合って世界が作られるべきだと著者は述べる。

 

いつまでも市場が解決してくれるなどと思ってはならない

誰かが行動しなくてはならない、そんな問題が山積みになっている。

目を背けてはいけない。

 

 

企業と政府の限界

「企業の利益追求と社会問題の解決が両立するウィン・ウィンの世界が生まれるなどとは思わないほうがよい」

民主的な政府に望みを託しても、営利企業によって牛耳られている政府であるから、解決されることは非常に難しい。

政府と企業だけのバランスでは足りない、カバーできない領域に手を伸ばすのが多元セクター。

 

「市場の見えざる手は、議会を牛耳る目に見える鉤爪に取って代わられた」

企業は、税制の抜け道を作ったり、規制を弱めたりと、政府を影から操った。

なぜなら莫大な金額の政治献金や利権があるからだ。

政府の独立性というものが、市場原理によって損なわれている

 

「企業が自由に行動できる経済が、企業が自由に行動できる社会に変容したとき、自由を失うのは市民だ」

社会は経済だけではない

だが、経済が良くなれば社会が良くなると考えている今の現実。

支配されていることすら気づかなくなる。

 

「個々の国の中と世界全体でアメリカ独立革命を完結させ、民間セクターの有害な行動に対する抑制を強化し、三つのセクターの間のバランスを取るべきだ」

資本主義とか共産主義だけでなく、バランスという概念はとても新鮮。

それぞれのセクターが、場合によって均衡を保ちながらバランスをとる。

それが、国民の、社会の広い受け皿になる。

 

「生産性の向上に二つのタイプがある」

1つ目は従業員に負担を強いる生産性の向上。

2つ目は本当に仕事の効率が改善すること。

本来は2つ目が重視されるわけだが、1つ目を至上主義とする企業ばかりだ。

 

見えない問題に責任をもつこと

「私個人にはコストがまったくかからないが、社会全体にはコストが生じる」

目に見えない、目を背けているコストというものはある。

だが、その埋め合わせは誰がするのだ。

政府も企業もカバーできない箇所をどうするのか。

多元セクターに託される。

 

「重要なのは、単に漠然と問題意識を高めるだけでなく、明確な計画の下で賢明な活動をすることだ」

問題を解決するためには、意識だけでなく、綿密な計画が求められる。

一般人に何をしたらいいのか、動機付けをすることが必要なのだ。

どこまで深く考えていけるか、これは何でも一緒だ。

 

「誰もが他人を非難し、それを口実に自分が行動しないことを正当化している」

他人との比較だけで生きているような人間にはなりたくない。

口実にして逃げてはいけない。

逃げたくなった時に、思い出したい言葉だ。

 

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