【読書】Φは壊れたね/森博嗣 真実とは、決して完全に目の前に姿を現すことはないのだから
「自分が掴んだと思える真実とは自分が作り上げた都合のよい真実である」
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森博嗣のGシリーズ。
その死体は、密室の中でY字の形につられていた。
背中に作り物の翼をつけ、胸には銀色のナイフが刺さっていた。
死体発見の一部始終がビデオに録画されていた。
まるで一つの作品であるかのように。
そしてそのビデオのタイトルにはこう記されていた。
西之園萌絵、山吹ら学生達と事件の解明に挑む。
本作はS&Mシリーズの主人公である西之園そして犀川も登場する。
彼らがまたも活躍するこのシリーズ。
いつにもまして密室が不気味である。
密室というのは人間の先入観と没入感が作り出す仕組みである。
それを作るのも解くのも人間なのだ。
そもそもが密室で殺人すること自体が不可思議なのだ。
なぜなら密室で人が死ぬのは自殺しかないのだから。
それ以上はただの顕示欲に過ぎないのだから。
安定は、機動力を失うということ
「安定感があることは確かなように思える。ただし、その安定感とは現在位置からの移動の難しさを意味しているようだ」
社会人とは何なのか、山吹は考える。
それは安定感の有無の違いか。
しかしながら、その安定感というのは移動の困難さというものが表れているのだ。
世の中、うまい具合に分かりやすい言葉が使われている。
まるでそれが正しいかのように、当たり前であるかのように。
殺人という行為
「殺人っていうのは結構なリスクを負う行為なわけですよ」
西之園は考える。
殺人ということはとてつもなく労力を要するものなのだ。
そこにまして儀式めいたもの、芸術めいたものを全面に出す場合、犯人は自ずと明らかになるのだ。
そして罪の意識というものも欠如していく。
隔離することで自分を守る
「実際に流れていた時間を意識させ、自分達と同じ現実という世界に存在した生命が消えていく」
現実感のなさというものが人を冷静にする。
逆に現実に近しいと感じたとき、人は初めて恐怖を覚える。
人が殺されたという伝聞だけではなく、その光景がビデオに映っていた場合、そこに時間という流れる存在が混じってくる。
そこで人は同じ現実に起こったことを知るから。
現実には人の思いが加わる
「すべてが手掛かりだし、同時に、すべてが無関係だ」
現実の多層性という難しい表現を使う海月。
考えようによっては、どちらともとれる事柄。
その違いは受け手次第なのだということだ。
それが真実であると考えれば真実、そうでないと考えるのならば真実ではないのだ。
現実というものは極めて曖昧なものなのだ。