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aichikenminの書斎

20代サラリーマンが、読んだ本と、心に残った言葉、その時考えたことを徒然なるままに書き留めたもの(金融、理系、工学、航空機、読書)

【読書】バカの壁/養老孟司 バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない

話が通じないのはなぜか

今更ながら読み返す。

話が通じないのはなぜか、そこに壁が立ちはだかっているからだ。

多様な角度から考えるために、一元論に支配されないために

バカの壁 (新潮新書)

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¥734から

 

話してもわからないのはなぜだろうか

「本当は何もわかっていないのにわかっていると思い込んで言うあたりが、怖いところです」

人によりバックグラウンドが異なる。

表面的に同じ言葉でも、バックグラウンドが異なれば理解は異なる

すなわち、自分の中での理解と相手の中での理解が違ってくる。

一面からしか見えていない場合は、相手も同様の理解だと思い込んでしまう。

そこにギャップが生まれ、齟齬が生じる。

多面的な見方をしなければならない。

 

マニュアルに沿った個性を要求する組織

「組織が期待するパターンの個性しか必要無いというのは随分おかしな話」

個性を尊重するようになりつつある社会。

そもそも個性とはなんだろうか。

ある程度の限度の中での個性を求められる不思議。

組織の中で役に立つ程度の個性とはなんだ?

 

 

「仕事が専門化していくということは、入出力が限定化されていくということ」

ある入力を受けて、それに見合った出力を出す。

仕事が専門化するということは、入力の範囲が狭まるということ。

それに対する出力は正しく出すことができても、それ以外の入力には対応できない。

いかに制限された環境にいるのかを知覚することすらできない

 

「共同体の成員というのは基本的に平等というのが建前です」
「企業や組織で求められる機能主義とは相反するものです」
「サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない」

機能主義は、構成員を適材適所で使うこと。

ただし、それは構成員を平等に扱ってはいない。

日本の社会は長い目で見れば、共同体の論理が勝ってしまうようだ。

社会のために働くのではなく、会社のために動いてしまう。

本当は社会のためになることが目的であって、会社という組織で動くことは手段であるはず。

 

「仕事を合理化すれば、当然、人間が余ってくるようになる」
「働かない人は何をするかということの答えを用意しなければいけない」

機械や人工知能に仕事を奪われるという幻想。

本来は仕事をしなくても生きていけるというのが一番理想的なのではなかろうか。

働く人を作るために仕事を作るという考え方はおかしい。

人に仕事をつけるのではなく、仕事に人をつけるのだ。


昨日の自分と今日の自分は違う

「知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう」

今日の自分は、昨日の自分とは違う。

気分が違えば情報の受け取り方も変わってくる。

新しい知識をつけた自分にとって、世界の見え方まで変わってしまう

感じ方、考え方は変わらないという一元論から脱却しなければならない。


考えることをやめたらそこで終了

「物を考えるということは決して楽なことじゃないよ」
「わかる、わからないの能力の問題ではなくて、実は、モチベーションの問題です」

能力がないからわからないという発言で逃げる人は多い。

でもそれは考えてないだけ、考える努力をしていないだけ

考え、知識を得ることが、人生を豊かにする。

 

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